着物を着ることで身に付くこと
得てして着物は不便である。
動きづらい、着るタイミングがない、何より高いので自分で買うには敷居が高く、保管も神経を使うので扱いづらい。
着る側としては日常を送るには非合理だろう。
それでも着物には一定の人気がある。
世界の方々からも称賛される。
魅力は見た目だけなのだろうか。
いや、そんなことはない。私は合理的に得られるモノもあると感じている。
今回は着物を着ることで身に付くことを考えてみる。
<着物の力>
着物は洋服と違い気軽に洗濯することができない。そのため汚れてしまうことにとても敏感になる。食事においても移動においても、トイレ時においても、である。これだけ聞くととても扱いづらく、気軽に着られないことで敬遠したくなる気持ちもわかる。
しかし、それゆえに強制的に身に付くことがあると感じる。
着物を着ることでどんなことが身につくのか。
本記事では
①健康
②計画力
③空間認知力
の3つに着目する。
①健康
着物を着ると健康になる。
その秘密は〝姿勢が正される〟ことにある。
体のゆがみは様々な不調を引き起こす。肩こりをはじめ、腰痛、内臓の不調、ひいては性格の乱れやイライラなど精神的にも影響が生じる。
着物を着る時は得てして、姿勢よく背筋を伸ばして立たないと格好が悪い。着崩れを起こすとせっかく着飾った状態がみすぼらしくなってしまう。だから必然的に姿勢が正されることに繋がる。
これは座るときにでも、である。
椅子に座るときは帯が背もたれに付かないように半分前に腰掛ける。その姿勢が〝立腰〟となる。床に腰掛ける時でも、正座の姿勢に自然となる。正座は膝の裏にある経絡を刺激する。経絡を刺激することでリンパの流れが改善される。
正座をすることでむくみの改善など、腎機能を良くすることに繋がる。
ゆえに、着物を着ることで健康になる。
②計画力
普段着物を着ない方が着物を着ると様々な想定外なことが起こる。電車への乗り継ぎは一本遅れ、階段の上り下りはすたすた歩けず時間がかかる。トイレでさえもいつものようにはおこなえない。
かくいう私も慣れないうちは、着る段階から時間計画がズレ、歩くと鼻緒が拷問器具のように足を痛めつけすぐに休みたくなっていた。(拷問器具の経験はないが笑)かばんも肩から掛けられず、寒いときは羽織る物に迷い、暑いときにはもっと涼しくならないものかと汗を流しながら切に願う自分がいた。
自分が経験をすると、相手の状況を考えたときに少し人の気持ちが分かるようになる。
計画力とは、起こりうることを想定して先手を打つ力である。
そのために必要となってくるのが
〝情報と経験〟
である。
想定の幅が広がると得るべき情報がより具体的に鮮明にもなる。
歩くスピードを考慮して移動時間を設定し、階段があるのかないのかを想定に入れる。もし足が痛くなったら休める場所はあるのか、なるべくトイレに行かないでも済むように、そのトイレは混むのか混まないのかなど、何段階も先のことを考えられるようになる。
その考えは自分が経験をして不便に感じ、初めて計画に組み込まれる。その経験を積み重ねることで(たとえ未経験のことであっても)組む計画の精度が上がり、余裕を持った行動ができるようになったり、想定外であっても臨機応変に対応できるようになったりもする。
このように、定期的に着物を着ることで計画力が身に付いていく。
③空間認知力
電車内の席、空いているとはいえ足を広げ隣の席に荷物を置いて座っている人がいる。カフェでも何かの集まりでも、公共の場で自分のスペースをふんだんに広げている人をみかけることもあるだろう。
その時その人に対して何を感じるだろうか。
「邪魔、迷惑だなぁ」
「自分の家じゃないんだから」
「周りの人のこと気にかからないんだろうか」
抱く感情は人それぞれではあるが、あまり良い気分は湧かないだろう。
着物は洋服と違って袖や裾が自分の体にぴっちりとくっついていない。その分、自分自身の体以上のスペースを常に気にしなくてはならない。
店内では帯で人の通行の邪魔をしていないか、振り返った時に物を倒して壊してしまわないだろうかと背後を気にかける。
食事の時には袖がご飯についてしまわないか、コップを倒してこぼさないようにと腕周りの空間まで気にする。
着物は自分の体以上のスペースへの影響を気にしなければならない衣服である。
よって着物を着ることは空間認知の範囲を広げてくれる。
最後に
ここまでいろいろと書き綴ってきたが、(自分自身の襟を正す思いも込めて)一番大事なことを書く。
結局は着物を着ている人がどう見られるかで着物への印象が決まる。
着物を着る我々がマナーを守り周りに配慮し品よくいることが着物のイメージを上げることには必須である。
着物を着ることで人間的に成熟できる。
そう伝えたい。
本記事に触れることで、一人でも多く日常的に着物をきる機会を増やそうと思ってくれる人が現れれば幸いである。
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