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厳冬

昭和五十七年十二月

昼に地元・沖洲を出たフェリーは、浜松沖をゆっくりと走っている。

ここで飛び込めば、遺骸も何も上がるまい。

暗くなりかけた水面を見ているうち、分厚い眼鏡をかけた顔が脳裏に浮かんだ。先月訪れた、職業安定所の職員の顔であった。

「やめときない」

家を継いだ三男の嫁とは折り合いが悪く、自分が建てたはずの屋敷には居場所がなかった。家政婦でもして外に出ようかと相談に訪れたが、齢七十を超えては、職員も呆れ顔であった。

この時代、職安に相談に来る人間はほとんどが季節労働者。数か月出稼ぎに出、仕事のない冬の間は失業給付をもらう。男たちがわらわらと列を成す中をかき分けて、口を真一文字に結んだまま、カヨは安定所を後にした。

可愛くて仕方のない三人の孫娘たちには母親の息がかかり、どんなに可愛がってもきつい態度をとられることがあった。

「京子んく(家)行って、もう帰らんわ」と告げ、泣く夫・貞一を置いて、ひとり娘の家に行ったこともあった。その時は結局、京子にそのことを告げることができず、徳島に戻ったのである。

貞一とは二十三の時に結婚し、三男一女をもうけた。勝気なカヨと対照的に、貞一は人畜無害な人物で、猿に似ており、笑うと目がなくなる。幼きころ丁稚奉公に出た朝鮮で結核を患い帰国したが、四国八十八箇所を巡り、完治させた。その病歴で貞一は出兵を免れ、軍事工場へ徴用に出た。一家は誰ひとり欠けることなく空襲を生き抜いた。

若き日のカヨは、徳島県で初の女性タクシードライバーとして紙面を騒がせたこともある。女が免許などと眉をひそめられるようなその時代、カヨは免許をとるため、路線バスで車掌のアルバイトをして金を貯めた。

自立を絵に描いたような自分が、息子の嫁にいびられて屋敷の隅で縮こまっているなど、カヨには耐え難いことであった。

「おばはん、なんしょんで? あっち行かんで?」

唐突に声をかけられ、我にかえる。

振り向くとそこには、六十近いと思しき夫婦が立っている。

夫妻は、この寒い夕刻にひとり甲板に立つカヨの様子がおかしいことに気づき、さりげなく船内へ誘導することにしたのだった。

どのくらいの間立っていたのだろう。冷えた手摺りを掴んでいた手はかじかみ、感覚を失っていた。

夫妻はカヨと同じ、深緑の毛足の短い絨毯が敷き詰められた二等の一角に席を取っていた。週末の二等船室は、家族連れや単身者で混み合っている。

妻と思しき女性が手持ちの水筒からコップにほうじ茶を注いで手渡してくれた。かじかんだ手が驚いたようになった。この時ほど、茶を温かく感じたことはなかった。

夫妻の孫娘は今年二歳。この船旅の目的は、孫と娘婿に会いに行くことだと言う。夫妻の娘は昨年胃癌で二十六歳の若さで他界。娘婿は男手ひとつで娘を育てている。

「やっぱり、孫は格別、かぁいらしいですなァ」夫が目を細める。

妻が手渡してくれたにぎり飯をかじると、酸味の強い梅干しに再び、我にかえった。

夫妻は、カヨには何も聞かなかった。
ただずっと、孫娘の話、最近通信教育で木目込み人形を習いはじめた話など、他愛のない話をしてくれた。

翌朝五時半過ぎ、船は有明の港へと着いた。
昨夜、夫妻と別れた後、カヨは身を投げることなく東京の地を踏んだ。

下船のデッキを降りきったところで振り返ると、六人ほど後に降りてくる夫妻と目が合った。ふたりは黙って微笑んでいる。
カヨは深々と頭を下げ、船を離れた。

「お母さん、こっちこっち!」

迎えに来た京子が、一生懸命手を振っている。
京子の少し後ろでは、京子の夫・和夫がこの春生まれたばかりの孫娘・清香を抱いたまま、少し緊張した面持ちでペコリと頭を下げた。

夜が、明けようとしていた。

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この物語は、事実を基にしたフィクションです。登場人物の名前、設定等は一部変更しております。

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