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夫に「心配性だ」と言われて少しモヤっとした話

私が出産に関する不安を吐露したとき、夫はしばしば「君は心配性だ」というようなことを言う。それはその通りで、私は心配性なのだ。でも、こと出産に関しては、「心配性」と言う言葉で片付けられることにひどく寂しさを感じる。確かに私は心配性だが、妊娠中の女性は多かれ少なかれ、毎日不安とともに生活しているのではないだろうか。

自分の食べたもの、自分のした行動の一つ一つがお腹の子どもに影響すると思うと日常生活の全てに気を遣うし、初めての出産経験は未知のもので、ネットで出産レポを読みあさっては恐れ慄く。

私が四六時中不安になるのは、私が心配性だからではなく、私自身が妊婦だからだ。そして夫が四六時中不安にならないのは、夫が妊婦ではないからだ。自分のからだの中で起こっていること、これから起こることがある女性と、その全てが他人の体で起こる男性とでは、不安の度合いが違って当然で、それを「心配性」で片付けて欲しくないと私は思う。

妊娠出産の当事者は女性である

どこまでいっても当事者は女性だ。男性は、からだも変わらないし、生活も変わらない。女性の妊娠出産が否が応にも女性を変化させるのに対し、男性は変化を伴わなくても、射精から一直線で子どもが生まれてくる。※この「射精から一直線」と言う言葉は、川上未映子の出産エッセイから引用させていただいている

だから、男性が変えられるものは「意識」だけだ、と思う。そして男性の場合、この意識は、何となく変わっていくものではなく、意志を持って変えなければ変わらないものなのではないだろうか。

我が夫は、私が妊娠してからというもの、かなり意識を持ってくれている方だとは思うのだけど、ふとした瞬間に、ああやっぱり当事者じゃないから、私のこの感覚は分からんのだろうなあと思うことがあり、寂しさを感じる。

1日にどれだけ赤ちゃんのことを考えているか?

夫は、24時間のうちの何時間、子どものことを考えているだろう。聞いたことはないけれど、間違いなく私の方が圧倒的にその時間は長いと思う。

私自身、こんなに脳内をこのことで占領されるとは思ってもみなかった。でも事実、お腹はひっきりなしにぐるぐる動くし、そもそも重いし、動きづらいし、何をするにも意識せざるを得ないので、結局1日のほとんどの時間、お腹の中のことをぼんやりと考えている気がする。最近は、夢も赤ちゃんに関するものばかりだ。

これは私が勝手にそうなっているだけで、夫が同じような心境になっていなくてもそれは全然おかしなことではないし、ましてや強要することなんてできない。それなのに、どうしてもこの「赤ちゃんのことを考えている時間の差」に夫との距離を感じてしまうのである。

これは難しい問題ですね。妊娠中の私にとっては、赤ちゃんのこと=自分のお腹の中のこと=自分のことなので、どこまでが赤ちゃんのことで、どこまでが自分自身のことなのか、その境界線はあやふや。一方夫は、赤ちゃんのことと自分自身のことは完全に切り離されているわけだから。

なので、このもやもやの解決策はそんな簡単には見つからない。それでも、少しずつ夫との意識の距離を縮めていけるよう、努力していこうと思う。


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