大人になった私が、もう一度自分のためにピアノを始めた話
「やっと、終わった。」
奨学金の返済が終わると送られてくる「奨学金返還完了のお知らせ」を見つめながら、私は大きく息を吐き出した。約3年にわたる奨学金の返済生活が終わり、胸の奥にあった重い荷物がゆっくりと消えていくような気がした。
この瞬間、ふと頭に浮かんだのは、あの頃諦めたピアノの音だった。
お金の問題で諦めたピアノを、今ならもう一度挑戦できるかもしれない。そんな思いが心の中で静かに広がっていった。
子どもの頃、親に否定され諦めたピアノ
私がピアノを始めたのは小学3年生のとき。同じクラスの子がかっこ良くピアノを弾く姿が印象的で、憧れたことがきっかけだった。
私は5歳からエレクトーンを習っていたから、楽譜を見て「ピアノを弾くこと」はできた。ただ、その子のような技術力や表現力はなかったので「かっこ良くピアノを弾くこと」はできなかった。
ピアノをもっと専門的に習いたくて、母にピアノの個別レッスンを受けたいと相談した。しかし、母は否定的だった。理由は、お金の問題があるから、そしてピアノよりもエレクトーンを習ってほしかったから。エレクトーンの先生は編曲などの技術が素晴らしい方で、母は「エレクトーンの先生とのつながりを断ちたくない」といつも言っていた。
私はお金のことを考えて「エレクトーンをやめてピアノを習いたい」と強く主張したけれど、母はエレクトーン推しだったので「エレクトーンを続けること」を条件にピアノのレッスンも受けさせてくれることになった。
初めてのピアノレッスンの日。私はピアノを習えることが嬉しすぎて、レッスンまでに教材1冊分のすべての曲を弾けるように練習しておいた。「まだ教えてないのにすべての曲を練習してきたの!?すごいね!」そんな言葉をかけてもらえるのではないかと妄想していた。
しかし、現実はそう甘くはなかった。私は初めてのピアノレッスンで、ほとんど曲を弾かせてもらえなかった。
まず指摘されたのが、ピアノを弾くときの姿勢、指の形、指の使い方。そして、曲の理解。初めて指摘されることばかりで目から鱗が落ちた。とても勉強になって充実感はあったが、先生の期待に応えられなかった自分が悔しかった。レッスンが終わってから、自然と涙があふれた。
「悔しい。でも泣くのは今日が最後。もう絶対泣かない!」
私はかなりの負けず嫌いだった。帰宅してからすぐに作曲者の経歴や時代背景を調べて、曲のどの部分がどんな情景を描いているのか想像して文章化した。次のレッスンでその文章を先生に見てもらうことはなかったけど、「ピアノで表現すること」の根幹に関わる部分が少しだけわかったような気がした。
ちなみに、このピアノの先生はエレクトーンの先生が「えりちゃんに合う先生にお願いしたよ」と紹介してくださった方だった。姿勢が悪いと背中を叩いてくるような厳しい先生だったけど、もともとは声楽が専門だったからか、いつも歌いながら情緒豊かに教えてくれるところが大好きだった。当時の私にピッタリの先生だったと今でも思う。感謝。
小学3年生のときに習い始めたピアノは、中学3年生の秋にやめることになった。高校受験のための塾に通う代わりに、お金の問題でピアノをやめるように言われたからだ。
私は「エレクトーンの方をやめたい。ピアノは続けたい!」と強く主張したが、母は「エレクトーンはやめさせない」と絶対に折れなかった。私のために高額なエレクトーンを購入したから、当然だ。(私は購入してほしくなかった。やりたくなかったのに「私のため」と大きなお金を使われたことが苦しかった)
私は中学生、自分でお金を出せるわけじゃない。そして、ピアノはただの習い事。将来ピアノで生計を立てたいわけでもない。だから親の言うことには逆らえなかった。
大人になって、自分で稼ぐようになったら、またピアノを習いたい。そう、強く思った。
大人になってからピアノに再挑戦
高校生のときは「音楽部」に所属していた。音楽部は、合唱とミュージカルの活動が中心の部活。ピアノとはまた違うけれど、音楽に携われて楽しい毎日を送っていた。
「またピアノを習いたい」と心の中で強く思っていたものの、自分でお金を出すわけではないし、親に伝えることはなかった。
私は大学に進学し、そして社会人として働くようになった。仕事に追われる日々の中でピアノへの思いはいつしか薄れそうになることもあったが、それでも心の片隅にはずっとあの鍵盤が残っていた。
忙しさに流されて忘れかけていたピアノへの情熱が再び明確になったのは、26歳の夏、奨学金の返済が終わったときだった。経済的な自由を手に入れた瞬間である。
とにかく早く奨学金を返し終えたかった私は、生活費を切り詰めて質素な生活をしていた。奨学金の返済が終わったことで自分のためにお金を使いたい思いが強くなり、中学3年生のときの「大人になって、自分で稼ぐようになったら、またピアノを習いたい」気持ちを思い出したのだ。
「今ならできる」。私は思い立ったらすぐに行動する人間。ためらうことなくピアノ教室を探し始めた。
当時はアパートで一人暮らしをしていた。ごく普通の集合住宅なので、当然ながら室内で楽器を弾くことはできない。ピアノを習うなら練習場所を確保しなければならなかった。毎回ピアノ練習スタジオを予約して練習する方法もあったが、面倒で続かなくなりそうだったので嫌だった。だから私は「ピアノの練習もできる教室」に絞って探した。
私はいくつかの体験レッスンを受けた後に、職場近くにあった「部屋が空いていれば自由にピアノの練習し放題」のピアノ教室に通うことにした。
土日はなかなか空いていないようだったが、私は平日休みの会社員。レッスンは仕事終わりの平日夜にし、練習は平日休みの日中にすることにした。
18歳で大学に進学してから26歳で奨学金を完済するまでの8年間、私はピアノに触れることはなかった。学生時代のように弾ける自信はなく不安もあったが、それでも「好きな曲を綺麗に弾けるようになりたい」という思いが強かった。
再び自分の夢に挑戦できるという事実は、私の心を高揚感で満たしていた。
鍵盤に戻った日、感じた不安と小さな喜び
体験レッスンのときに先生から確認されたのが、ピアノを習う目的だった。
単に趣味として好きな曲を弾けるようになりたいだけの人と、音大に入りたい人やコンクールで入賞したい人では教え方が異なるのだろう。
私は「好きな曲を綺麗に弾けるようになりたい」と伝えた。
先生は「綺麗に弾きたいなら指の練習が必要だけど、指の練習は曲の中のフレーズを使って行いましょう」と言ってくれた。あくまで趣味だから、楽しく通えるように提案してくれたのだ。私の希望に寄り添って教えてくれるところも、このピアノ教室を選んだ理由の一つだった。
私が最初に選んだ曲は、ショパンの「別れの曲」。子どもの頃、ピアノ発表会で弾いた曲だ。8年間ピアノから離れていたことで弾き方を忘れてしまい、好きな曲なのに思うように弾けなくなっていた。
当時は弾けていた曲なので大きな練習量は必要ないと思ったこと、そして今ならもっと表現豊かに弾けるのではないかという期待を込めて、最初の曲として選んだ。
先生は教え方がとてもわかりやすかった。指や手首、体の使い方を丁寧に教えて教えてくれたおかげで、自主練習ではまったく弾けなかった箇所も、すぐに弾けるようになった。
正直なところ、指使いなどのテクニックについては、子どもの頃に習っていた先生よりもはるかにわかりやすかった。子どもの頃に教わっていたピアノの先生は、表現重視で教えてくれたように思う。大人になってから教わったピアノの先生は、表現もテクニックもバランス良く教えてくれたように感じた。
「別れの曲」はもともと弾いていた曲だったこともあり、1か月で当時よりも良い演奏ができるようになった。次に選んだのは、小学生の頃に「かっこ良くピアノを弾いていた憧れの子」がよく弾いていた「幻想即興曲」。
ショパンの「幻想即興曲」は、私の大好きな曲だ。これまで聴くだけだったが、これからは自分で弾けるようになると思うと心が躍った。大好きな曲だからこそ、練習もレッスンも楽しかった。
「別れの曲」のように和音が動くわけではないから、それほど難易度が高い曲ではない。ただ、右手と左手で音の動きがズレているので、きちんと等間隔で弾くのが難しかった。
最初は思うように弾けなかった。右手と左手がそれぞれ異なる動きをするせいで、脳が混乱してしまうのだ。イライラすることもあったけれど、私は焦らずゆっくり取り組むことにした。
先生から「最初はテンポを落として、右手と左手のバランスを体に覚え込ませましょう」とアドバイスを受けた。その言葉に従い、縦の拍を意識して一音ずつ丁寧に弾く練習を繰り返した。
数週間が経つと、少しずつ音の動きが体に馴染んでいくのを感じた。難しかったリズムの部分も、繰り返しの練習で少しずつスムーズになり、指が動く感覚が楽しくなってきた。少しずつ課題がクリアできていくことで、練習のモチベーションが上がり、ピアノに向かう時間が待ち遠しくなった。
大人になって初めてのピアノ発表会
幻想即興曲が形になり始めた頃、先生から「3か月後に大人だけの発表会があるんだけど、出てみない?」と教えてくれた。先生は「今ちょうど練習している幻想即興曲でも良いし、他の曲でもいい」と言っていたが、次に弾きたい曲は3か月では絶対に弾けるようにならない難易度の曲だったので、発表会は幻想即興曲で臨むことにした。
人前で弾くことには不安もあったが、それ以上にワクワクした気持ちがあった。子どもの頃に経験した発表会とは違う、自分の意思で選んだ挑戦だからこそ、きっと特別な意味を持つに違いないと思えたのだ。
発表会が近づくにつれて少しずつ緊張感が増していったが、それと同時に少しずつ自信も積み上がっていった。練習を重ねることで、曲の流れや自分の得意なフレーズがはっきりと見えるようになり、不安の中にも自分ならできるという確信が芽生えていったのだ。
発表会当日。名前が呼ばれて舞台に立ち、ピアノの前に座る。深呼吸をして、鍵盤に手を置いた。その瞬間、練習で何度も繰り返してきたフレーズが頭の中に蘇った。最初の一音を響かせたとき、緊張はまだ完全には消えなかったが、音に集中することで徐々に心が落ち着いていった。
本番は、自分の思うように弾けたと思う。嬉しかったのは、私の演奏を聴いた他の参加者から「良い演奏だったね。私の先生も、あなたの表現力が良いねと言っていたよ!」と言われたこと。「私の演奏が良かった」と思ってくれる人がいることは、自分にとって大きな励ましになった。
ピアノに再挑戦すると決めたとき、私はただ「もう一度好きな曲を弾きたい」という思いから始めた。自分のためだけの挑戦で、人に評価されることは特に求めていなかった。
ただ「好きな曲を弾く」ということから、「どのようにこの曲を表現するか」「どうすれば聴いてくれる人に伝わるか」を考えながら弾くようになった。そして、それこそが私にとって新しい挑戦となり、ピアノを再び学ぶことの深い楽しさとなったのである。
生活の変化でピアノを中断、また挑戦したい
ピアノを再び始めてからの挑戦は、私の生活に色を取り戻してくれた。しかし、結婚を機に転居することが決まり、ピアノ教室をやめることになった。
再び大切なものを手放すような感覚だったので、決断には時間がかかった。ピアノの鍵盤に触れるたびに感じていた心の落ち着きや達成感は、私にとってかけがえのないものとなっていたからだ。
転居先は、富山県。東京のように練習室付きのピアノ教室がいくつもあるわけではなさそうだったので、自宅で好きなときに弾けるよう電子ピアノを購入した。
月日が経ち、2人の子どもが生まれた。育児に追われ、ピアノに向かう時間はめっきり減ってしまった。
それでも、ピアノを弾いていた頃の穏やかな時間を思い出すことはある。ふとした瞬間に、鍵盤の感触を恋しく思うこともある。
しかし、実際には新しい生活の中での優先順位に押され、ピアノは遠い存在になってしまっていた。
それでも、「また弾きたい」という思いは、私の心の中で静かに燃え続けている。ピアノを弾くことは単なる趣味ではなく、自分の心を落ち着かせ、何かに挑戦する喜びを与えてくれるものだった。だから、今の生活に余裕ができたら、再びピアノに挑戦したいと強く思っている。
次にピアノを弾けるのはいつになるのか、まだはっきりとは分からない。それでも、再び鍵盤の前に座る日のことを楽しみにしている自分がいる。
今は少しの間、中断することになるかもしれないが、ピアノへの思いは途切れることはないだろう。生活の変化に対応しながらも、自分自身の時間を取り戻せるようになったとき、きっとまたピアノに挑戦する日がやってくるはずだ。
音楽はいつでも私を励まし、次へ進む力をくれる。これからも、私は自分のペースでピアノを弾き続けるだろう。いつか、街中のストリートピアノを弾いたり、私のレベルに合ったピアノコンクールに挑戦したりしてみたい。
好きな曲を、私の表現で、そして私らしく奏でる。そのための挑戦は、まだまだ続いていく。