特殊なひとたち

いつか書こうと思っていた彼らの話をする頃合いでしょうか。

学校に行くと、いろいろな人がいる。個性はまあもちろんのこと、小学校や中学校、また高校には、特別支援学級の子や不登校の子がいた。

発達過程での障害と、精神的な病と、身体的な病とを一括りにするのも変な話だけれど、ここではちょっと特殊な人として表現することにする。

私は小さい頃からそういう「特殊人間」と近しくなりやすかったと思うのだ。

いちばん最初は、小学校5年生の春、人生初の告白を受けたときだったかもしれない。一個上の男の子に音楽室に呼び出され、何重にも折った小さなメモを渡された。なんて書いてあったことか。「おぬしのことが、すきでござる」。いやいやいや、どんな告白だよ、と今なら思うけれど、付き合うとか振るとかそんな概念すらなかったピュアな私は、こんな面白い人はいないと思った。実際言うことすることのセンスが良くてユニークな人だったし、彼は特別支援学級で、付き添いの先生の言うことも全くというほど聞けず大人たちは苦労していたのに、私が「やめなよ」と言うとすぐに聞くから、面白かったのだ。ひといちばい扱いが難しかったそうだけど、ひといちばいユーモア溢れる人でもある。それが彼の印象だった。

中学生のときは、不登校の女の子がいた。読書が好きなクールな子だった。母親同士が仲良かったのもあり、事あるごとに私はその子に手紙を添えて本を貸した。「君の膵臓がたべたい」面白いよねという話になって一緒に映画に行った。修学旅行のホテルも同じ部屋を取った。彼女は何を考えているのか全く読めないタイプの不思議ちゃんだったけど、私はそんな彼女が魅力的で仕方なかった。

同じく中学で、特別支援の女の子がいた。男勝りな性格で、農業や虫に詳しくて、すごくかっこよかった。その子もまた、先生との行動が多かったのだけれど、私は隙を狙っては話しかけていた。その子とも修学旅行のホテルで同じ部屋を取った。連絡先も持ってないし今では何をしているのかもわからないけど、きっとみんなの役に立つ陰の力仕事をしているんじゃないかなぁと想像している。

そして彼女の弟もまた、特別支援だった。図書室に通っていた私は、毎日彼と顔を合わせるうちに、だんだんと仲良くなっていた。彼のことはまるで自分の弟みたいに思っていて、よくくだらない話をした。「特等席」と勝手に呼んでいた席を卒業のとき彼に譲り、彼は卒業式の花道で個別授業のときに描いたという風景画をプレゼントしてくれた。それは今でも額に入れて大事にしている。

それから、高校2年のとき隣の席になった小柄な女の子は持病を抱え体力に限界がある子で、1日1コマしか授業を受けられなかった。でも精神的には比較的明るく、積極的な子だった。私は毎日、彼女に授業のノートを写真にとって、その日あったことも添えて、送っていた。頼まれたわけでもないのに、毎日そうしていた。お節介だったかもしれないけど、毎日「ありがとう」と絵文字付きで返してくれるのが嬉しくって。

それから数ヶ月後、彼女から長文のLINEが来た。単位が取れなくなったのだろう、後期から通信の学校に転向するということ。まだ先生しか知らないけど、瀧ちゃんには先に伝えておきたくて、とのこと。今までたくさんありがとう、嬉しかった、と。登校中にそのLINEを見た私は泣いた。隣の席がいないといろいろと大変なこともあったけれど、彼女と隣の席になれて、友達になれて、役に立てて良かったという思いでいっぱいだった。

同じく高校2年のとき、不登校に近い女の子がいた。内気で、友達も少なく、何かあるたび1人取り残されてしまうタイプの子。ほんとうに気の毒な姿をたくさん見てきたけれど、私はその子とかなり親しくしていた方だった。お弁当に誘ったり、卒業前にプレゼントを交換したり。放課後に本屋に誘ったり、一緒にzoomの使い方を練習したり。卒業式で彼女の卒アルにメッセージを書かせてもらったとき、彼女の寄せ書きページは白紙だったのだ。私が、最初で最後だった、のかもしれない。私は彼女のいちばんで唯一の友達になれたんじゃないかな。


てなわけで私は昔から何かしらの特殊人間と仲良くなりやすい体質のようだ。けっこうお節介にも走りがちだけど、誰とでも話せるからそうしているわけでも、弱い立場だからと仲良くして「あげて」いるわけでもない。心から彼らのことが好きだったし、大切な友達のひとりだった。自分が好きで築いた交友なのだ。

多くの場合、そのような人たちとは自分から近づかなければ友達にはなれない。「いつものメンバー」に固執していればこんなに関わることなく終わるクラスメイトのひとりに過ぎない。それでも小中高とずっと彼ら、特殊人間たちとの深い関わりがあったということは、やはりきっとそうなのだろう。

実のところ、彼らは「人と違う」人として生きてきたわけだから、自己肯定感が低い人、普通でいることに必死になっちゃう人が多い。なんて不相応なことだろう。そのままで、いいのに。

こういうデリケートな話題って、語弊のないように表現できているかとても不安だけれど、少なくとも私は彼らのことを本当に魅力的な個性を持つ人間だと思っている。本当に、「凡」が過ぎる私にはないものをたくさん持っていて、面白い。

今では福祉を勉強して、その頃よりほんの少しだけ発達障害や精神障害に詳しくなった。今はASDというのが気になって仕方がない。そういう人とよく知りあってみたい。絶対おもしろい。私はそう思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?