雑魚日記7/24
周りから見た今村風子と、今村風子から見た今村風子はかなり違う人間だろうと思う。
それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。
私も私で、「こういう自分でありたい」という芯はない。
ずっとなるようにしかならないと思って、風の吹くまま気の向くまま生きてきた気がする。
それもまた、いいことなのか悪いことなのかはわからない。
将来 お金 親 仕事 肩書き 立場 責任 知識 意欲 時間 場所
いろいろな単語が頭の中をぐるぐると動き回る。
親はいつでも元気でいてくれるわけではないし
私自身は既に健康ではないし
ぼーっとしてても時間は経つし
時間は有限だし
時間が経つと人は歳を重ねるし
歳を重ねるとできることもできないことも増えるし減るし
私がどんな自分でいることが正しいのか
私の一挙手一投足で私は人を傷つけたり楽しませることができる
ほんの些細なひと言も
一瞬の行動も
「相手」がいる限り、そこには意味が生まれて感情が生まれて関係が変わる可能性があって
間違えることが極端に怖い
間違えたくない
自分史は自分が選んだ選択肢の積み重ねでできていて
間違った選択肢ばかり選んでいると歪んだ自分史ができあがってしまう
マッキー黒の太字で上からぐちゃぐちゃに塗りつぶしたくなるような
そんな自分史
そんな自分史を重ねてきてしまった気がする
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