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「焼き立てエンガディナー半分こ」の衝撃

「お菓子のおいしさは包装で決まる!」
ということを、改めて言葉にするまでもない世の常識だと思っていたヴァンドゥーズ時代。
(詳しくは前回の記事「お菓子のおいしさは包装で決まる!」を参照)

菓子業界で新卒から働いた私にとって
「どんなにおいしくお菓子を作っても、最後に包み方を間違えたら台無しになる」ということは、誰もが知っていることであると疑問にすら思わなかった。


しかし私は、一歩菓子業界の外に出てカルチャーショックを受けることになる。

パティスリーを退職して菓子業界の外へ

私は背骨の持病の手術のため、27歳でパティスリーを退職して、1年間の療養をすることになった。

当時は1年休んだらまたパティスリーで働けばいいと思っていた。しかし、手術をして背骨に16本の金属を入れた私は、全く曲がらなくなった背骨を実際に体感してみて、この体ではパティスリ―のハードな肉体労働は無理だと感じ、ヴァンドゥーズのキャリアは約7年で終了することになった(手術の話はまた改めて機会があれば書きたいと思う)。

「お菓子屋さんで働くことはできなくても、どうにかこの先もお菓子に関わる仕事がしたい!」
と思い、色々と仕事を探していく中で、選択肢に上ったのが「お菓子教室のアシスタント」だった。

だが、アシスタントはそもそも募集している先生が少ないのですぐには見つからず、まずは色々なお菓子教室の体験レッスンなどにも多く参加して市場調査をすることにした。


「焼き立てエンガディナー半分こ」の衝撃

とあるお菓子教室に参加したときのこと。
たまたまその日は私一人だけのレッスンだった。

レッスンで予定していたお菓子は完成し、試食も終わって、まもなく終了時間だというとき、

「あと数分待ってくれたら試作のエンガディナーが焼きあがるから、ちょっと待てる?せっかくだから持って帰って!」

と先生が声をかけてくれた。

エンガディナーというのは元々スイスのお菓子で、簡単に言うとくるみのキャラメルをサブレ生地で包んで焼き上げたもの。

サクサクのサブレ生地、中のほろ苦いキャラメルと歯触りのいいくるみの組み合わせが、食感も味わいも絶妙なお菓子で、私も大好きなお菓子のひとつだ。

画像1

(↑こちらの画像は製菓材料販売大手のcotta様のコラムより拝借した。
エンガディナーについては是非こちらのコラムの説明をご覧いただきたい。)


オーブンをのぞかせてもらうと、直径15cmほどある大きなエンガディナーが1台焼かれていてとてもいい香り。
あと数分待ったらこれをお土産に持たせてくれるというのだからなんてサービス精神のある先生なのだろうと驚いた。

でもさすがに私も気が引けて、

「先生、うれしいですがこんな1台私に頂けるなんて申し訳ないですから、大丈夫ですよ!」

と言うと、先生から私の想像していない答えが返ってきた。

「え?1台丸ごとなんてあげないわよ!私の試作なんだから半分こよ。やだ、内野さん、レッスン終わってるのにこれがさらに1台もらえるなんて思ったの?」

この言葉に、私は衝撃を受けた。

もし今これを読んで、私と同じように衝撃を受けた人は、お菓子のおいしさを保つということを普段から考えてくれている人だと思う。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

このやり取りの何がどう衝撃なのか、説明しよう。

「あと数分で焼きあがるから持って行って」
ということは当然、私は焼き立てのエンガディナーを持って帰ることになる。

エンガディナーは中がキャラメルなので、焼き立ては中が液体でマグマのように熱い。

それを私に半分持たせるには切るしかない。

しかし、焼き立ての状態で切るということは、中からキャラメルがドロドロと溢れ出てきてしまうということである。

だから、店ではエンガディナーを切るときは完全に冷めてキャラメルが固まってから、というのが常識である。
むしろ、前日に焼き上げて切るのは翌日、ということの方が多いのではないか。

後藤共子さま個別相談 (2)

(これは私の生徒様から「エンガディナーがきれいに切れない」というお悩みを頂き、オンラインで指導した際の様子。
勿論これは完全に冷めているので、キャラメル部分もスパッと切れる。)


なので私は、
「あと少し待ったら焼きあがるエンガディナーを持って帰って」
という先生の言葉を聞いて

1台丸ごとというのは確かに気前が良すぎるなと思いつつ、お菓子をおいしく食べるという前提では焼き立てを切るという発想は無いので、直径15センチのエンガディナーを丸々1台私にくれるものと思ったのだ。

・ ・ ・ ・ ・

数分後、焼きあがって熱々のエンガディナーを先生が半分にカットし、ラップで包んで私にくださった。

そして帰宅して食べてみたが、キャラメルは当然ドロドロに溶けだしているので中に空洞ができ、熱いままラップに包んでいるのでサクサクであるはずの生地は湿ってしまっており、非常に残念な状態だった。

頂いておきながら申し訳ないが、お世辞にもおいしいとは言えなかった。

その先生はフランスでもお菓子を学ばれた、腕のある人気の先生だった。
レッスンで習ったお菓子はとてもおいしかったし、おそらくこのエンガディナーも焼きあがった時点ではおいしかったと思う。

しかし、最後に焼き立てを半分に切ってラップで包むという行為によって全てを台無しにしてしまっていた。

この出来事から私は、色々なことを考えながらお菓子教室の市場調査をするようになった。


最終ゴールを間違えると「売れるお菓子」にはできない

色々なお菓子教室で実際にレッスンを受けて市場調査をしてみて思ったのは
私が今までいた製菓業界の考え方と、お菓子教室の考え方は全く違う物だということだった。

製菓業界はあくまでも作っているのは商品であり、作ったものをお客様がおいしく食べてもらえないと意味がないと考える。
お店で売る際のお菓子作りのゴールは「購入していただき、おいしく食べてもらうこと」だ。

しかし、お菓子教室や、お菓子作りが趣味の人のゴールは「とにかくお菓子を完成させること」であり、それよりも先のことまで考えている人は少なかった。

このエンガディナーについても、先生にとってはとにかく焼き上げることがゴールであり、持って帰っておいしく食べてもらうという視点が足りていなかったのだ。

そうしていろいろな視点で見てみると、お菓子教室に参加しても持ち帰り時に他の参加者の人が箱に詰めている様子が気になりだした。

心の中で
「あーその入れ方は絶対に崩れちゃうからやめて―」
「その乾燥剤、もう効果無くなっているよ…入れても意味ないよ…」
「その袋に脱酸素剤を入れても何の効果も出ないのに…」
など、思うことが増えていった。


趣味だったお菓子作りの腕が上がると、お菓子を売ってみたいと思うのは当然だと思う。

しかし、どんなにおいしくお菓子が作れても、菓子業界で働いたことの無い人の大半は根本的な「ゴール」が間違っているために、「売れるお菓子」になっていないことが多いと感じた。

私はその後、ある洋菓子研究家の先生のアシスタントになり、お菓子教室の補助の仕事をしながら、勉強させていただいた。

その中で、自分のヴァンドゥーズ経験を活かした仕事をする方法を真剣に考え始めた。


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