POOLのちょっとだけウンチク 第15回 ザ・ビートルズ『ゲットバック1969 グリン・ジョンズMIX』
前回に引き続きWOWOWMUSIC//POOLの新しいコンテンツVIDEOの話をしようと思う。斉藤和義さんの#3「最近ハマっているアルバム」はザ・ビートルズの『ゲットバック1969 グリン・ジョンズMIX』だった。最高級の音響、ぴあのオーディオルームで聴くとまるでアップルの屋上で聴いているような臨場感だ。(しつこいようだが、YOUTUBEでは著作権の問題でその音を流せないのが残念でならない。是非想像していただいて斉藤さんのトークで楽しんでいただきたい)。
斉藤和義さんのデビュー・シングルが『僕の見たビートルズはTVの中』だったことでもわかるように、斉藤さんは有名なビートルズマニアである。『ずっと好きだった』のミュージックビデオを見たときは大笑いすると同時に感心した。よくぞ、あそこまでアップルのルーフトップコンサートをパクったものだ(失礼!オマージュしたものだ)。あのビデオは宇都宮のパン屋のビルの屋上で撮影されたという。MCの中田クルミさんも同じ栃木出身ということで話は盛り上がり、ここで斉藤さんの名言が生まれた。「なんと宇都宮がロンドンだったのよ!」(笑)このミュージックビデオ、是非一度見てみていただきたい。
グリン・ジョンズとは
さて、グリン・ジョンズとは何者なのか。彼はロックの最も優れたレコーディング・エンジニアの一人である。ストーンズ、ツェッペリン、クラプトン、ザ・バンド、、、グリン・ジョンズが手掛けたロックの名盤は数知れない。彼は2004年に『サウンドマン』という自伝を書いていて、この内容がとても興味深い。もう一人のローリング・ストーンズと言われていたイアン・スチュワートと同居していたことがきかっけで、ストーンズのレコーディング・エンジニアになる。元々バンドマンだったこともあり、グリン・ジョンズは単なるエンジニアではなくプロデューサーに近い存在で、スタジオセッションの音源をそのままパッケージしたような生々しいサウンドに仕上げる手腕にたけていた。自伝の中にも出てくるが、ゲット・バック・セッションをやる際、ポール・マッカトニーから直接電話をもらったという。「あの、ポール・マッカトニーだけど」と声が聞こえてきて、絶対ミック・ジャガーのいたずらだと思い、「ミック冗談はやめろ!」と言って、電話を切ってしまった(笑)。
だが、その電話でグリン・ジョンズは1969年1月2日から始まったトゥイッケナムのセッションとアップルでのセッションのレコーディングにすべて関わることになる。
昨年末に公開されたドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ:GetBack』は、とにかく驚きの連続なのだが、僕は初めて動いているグリン・ジョンズを目にして、これも意外だった。あまりの若さ、ポップスターのような風貌とファッション――僕が想像していたグリン・ジョンズはもっと職人的な地味な風貌で、大人で物静かな人だったのだ。ポールはジョージ・マーティンのような先生的な立場の人とではなく、一緒に話し合えるような仲間が欲しかったんだろうな、と思う。とはいえ、時にグリン・ジョンズがセッティングに手間取ると、少しイラつくビートルたちがいて、その時はやっぱりジョージ・マーティンを頼りにしたりするのもまた面白い。また映像を観ていると、ルーフトップコンサートを提案したのもグリン・ジョンズで、つまり歴史に残るあの映像は彼がいなかったら実現しなかったかもしれない。(斉藤さんビデオもなかった、、、)
山のように積みあがったレコーディング音源をグリン・ジョンズが苦労してまとめ上げたにもかかわらず、なんと土壇場になって、ビートルズのメンバーがこれをお蔵入りにしてしまう。しかも、ウォール・オブ・サウンドで有名な奇人、フィル・スペクターに託したのだから若きグリン・ジョンズの失望は大きかっただろう。自伝の中でフィル・スペクターをこうこき下ろしている。「スペクターはそこら中に反吐をまき散らし、あのアルバムをいまだかつて聴いたことがないほど甘ったるいシロップ漬けの糞みたいな代物に一変させてしまった」
今回監督のピーター・ジャクソンのおかげで『ゲットバック1969グリン・ジョンズMIX』が半世紀ぶりに甦った。これがいいのだ(!)多くの人がこの音源を聴いて涙を流しただろう。だが、この世でもっとも涙したのはおそらくこの人だろう――79歳になったグリン・ジョンズ。
(文・吉田雄生・WOWOW MUSIC//POOL企画・構成担当)
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