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親知らずをブチ抜いた話

左下である。
※この記事は抜歯時の記憶を克明に記録したのでグロい描写があります※


親知らずを気にしたことのない選ばれし人は知らないだろうが、親知らずというものを抜く場合、上ならまあまあチョロくて、下だと結構覚悟が必要である。死ぬことはないが、入院して抜く人だっているのである。

そもそもなぜ抜くことになったかというと、私の場合、年に二度ほど左下の親知らずが痛むことがあるからだった。前回だと初夏。前々回は正月だったか。季節の変わり目や疲労などで体調を崩しかける時期になると奥歯周辺が爆発するのである。抗生物質などで数日で引くものの、
今後ずっと口にバクダン抱えて生きていくんか??
今後老いて疲れやすくなって痛む頻度がUPしたらどうすっぺ???
推しのライブと親知らずの爆発が被りでもしたらどうする?????
などと考えるとどう考えてもとっととオサラバするべきだという考えに至った。

近所の歯医者では親知らずの抜歯は無理ということなので紹介状をもらい、でかい病院に行って診察、MRIも撮った。
先生は撮影した私のガイコツみたいな写真?を指差しながら
「歯茎の奥深くにいる、根っこが屈強で広がった形で生えている、神経をかすめているので抜歯後に痺れの後遺症のリスクがないこともない」というようなことを語った。
私は完全に戦意を喪失した。どう考えても抜きたくない。断固イヤである。
私は顔に「イヤ」と書いてあるような表情をしていただろう。
先生は「まあ、今日明日にどうこうという話ではないですし、抜きたくなったら電話で予約をとってください。」と言った。三ヶ月以内なら決意でき次第電話で予約が取れるらしい。三ヶ月を越えるともう一度紹介状をゲット、MRIの撮影と診察からのスタートだという。

診察室を出て待合のベンチで診察終了の手続きを待っている間、私はメッチャ悩んだ。
思えばここまでだって長かった。近所のクリニックに行く。紹介状をもらう。予約をとる。診察。MRI。そのどれもに時間と費用がかかったのである。
待合で書類を受け取り清算に向かおうとしばし歩く。
大きな病院なので様々な科がある。院内にコンビニもある。いろいろな人がいる。働いている人たちはみんな忙しそうだ。患者さんたちは老若男女、悲喜交々。私は今は幸いにもまあまあ健康で親知らず以外に来院する用はない。家からそう遠い病院でもないが、今日を逃したらよっぽど足を踏み入れない場所だろう。

私は踵を返して歯科の受付に舞い戻った。抜歯の予約をお願いします!入院なら麻酔で眠ってる間に抜ける?でも抜歯前日に来院してPCR検査?!入院せずに抜歯ならPCR検査不要、部分麻酔で当日のみの来院?じゃあ入院はなしで!トントン拍子にXデーまで決定した。

抜歯当日。
あの日、私自身が「抜歯の予約をお願いします!」と言った瞬間から時間はあれよあれよと言う間に、流れるように過ぎた。
歯医者は苦手である。処置自体も苦手だが待ち時間も恐怖に耐えなければならず誠にイヤである。
歯科の待合ベンチでうつむいている私の頭の中では「寝た子を起こす」「藪をつついて蛇を出す」「触らぬ神に祟りなし」などといったフレーズが浮かんでは消えていった。
確かに過去親知らずが痛むことは何度もあった。でも今は痛くないのである。未来にも痛くなるだろうか?ならないかもしれないぞ?ヤダヤダ、ああもう、やめとけば良かったかなホント。過去のアタシったら余計な真似を!

「はい、じゃあがんばりましょうね、お口を開けてください」
先生に促されあんぐりと口を開けたとき、私は思った。

迷いながらも「親知らず、抜きます!お願いします!」と言っちゃったあの日から時間は止まらず流れている。
ぐっと押さえつけられた歯茎がじわじわと不快に痺れてゆく。
予約を口にしたあの日から、キャンセルする勇気も出なくて。
視界を覆うカバーがかけられ、感覚のなくなった口に何か物騒なものが挿し込まれた。
「親知らず抜くので二日間お休みをください」と上司に伝えたあの日から。時間というものは不可逆であり、遡行して過去や未来を改変する能力を私たちは持たない。
遡ることは不可能で、現在という川の流れにただただ身を任せる他ないのである。
チェンソーのような音が迸り、頭蓋に道路工事の現場のような衝撃が走る。
ちょっとやそっとではない。いや実際はちょっとなのかもしれないが受ける衝撃としてはドリルが頭蓋を貫通して地球の裏側、果てはブラジルまで行きそうだ。
こんなことして人間が死なないのが不思議だ。麻酔というものがこの世に存在しなければ確実に痛みで死んでいるし、そもそも麻酔したから痛くないよってのも変すぎる事実だ。ヤバすぎる。不条理だ。麻酔を信じすぎでは?なんか硝煙のような匂いがする。削った歯と血の匂いかな。気持ち悪いけど今オエってなったら関係ないところまでズタボロになって冗談抜きで死んじゃうのでは。指先が冷たいわ。ちょっと関係ないこと考えて落ち着こうかしら。この宇宙の広さについて考えよう。生きるって何?生命は一体どこから?
「ちょっと力込めますね〜」言うなり先生が腕っぷしで勝負をしかけてくる。バキバキ。メリメリ。ねええ先生えええ。ちょっとおおおあ〜〜〜〜〜〜〜

「おわりましたよーお疲れ様でした」
処置自体にかかった時間は30分ほどだった。
完全に呆然自失であった。ふらふらと清算し薬局で化膿止めや頓服をもらい家に帰った。三日くらいは全部無理という具合で深刻に痛み、丸一週間後まではかなりやばめの口内炎といったかんじの痛みだった。
いまは抜糸も経て無事復活しつつある。

死ぬのでは?とガチで思う状況で走馬灯のように思考したのは日頃自分を支えてくれている人や推しや趣味のものごとではなく哲学であった。
抜歯で人が死ぬというのはきっと稀なことであり、ふつう大丈夫である。私も大丈夫だった。
でもあれはさ?あの衝撃は。あの時間は。あの硝煙は。あの恐怖は本物である。ねえお産ってこれよりキツイの???ねえねえ。ねえ・・・

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