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老害が語るYouTuber, TikToker等インフルエンサーがなぜイケナイのかという話其の弐

 前回インフルエンサーが取り立てて悪いことはないという筆者の立ち位置を示しました。賛否があることと思いますので、少し説明を加えます。
 
 確かに現在インフルエンサーというのはステルスマーケティングや詐欺、淫行などの温床になっています、しかしそれはインフルエンサーから切り離すことのできない本質とは筆者は思いません。例えば書物を考えて欲しいと思います。紙の本はよく燃えます、電子書籍も充電池から発火します、だから火災のことを考えれば本は批判され得る存在です。しかし易燃性であることは書物の本質でしょうか? ロゼッタストーンや十戒はどうでしょう。ブラッドベリの華氏451度の中では国家の焚書に対抗してヒトが口伝で本の役割を果たすのだというようなシーンがあります、名探偵ホームズやレクター博士は記憶の宮殿を頭の中に築いています、とある魔術の禁書目録という若者向けの長寿作品では禁制の魔導書を暗記した登場人物が命を狙われるというのが話の起点となるそうです。要は材質が可燃であることは書物の本質ではないというのが一般のアイディアです、ですから火災の懸念から書物を非難することはできないのです。またその際にメリットに目をつぶるというのもおかしな話です。筆者はインフルエンサーに関しても同様に思います。個人が行う映像配信全てにキチンとルールを決めればよいだけです。

 しかしなぜ世の中の老人はこうもインフルエンサーを「イケナイ、ダメ」だと言うのか?ここに老人と若者のニュアンスの違い、言語的な問題が横たわっています。老人達は上の書物のケースをも「イケナイ、ダメ」と反射的に判断するようにプログラムされているのです。老人の「イケナイ、ダメ」は概ね3つの階層の集合であり、①覚醒剤や強盗殺人のように絶対的に悪いモノ。②悪くないが対策が追いつかないモノ、これはLGBTがどちらの公衆トイレ・公衆浴場を使うべきかと言うことがいい例でしょう(現在は自己申告制なのでもし犯罪目的でも見抜く方法がありません)。③良いか悪いかまだ判断すべきではないモノ(国家間の協定や条約等がいい例でしょう)、となっています。一方で今の若者たちは実利主義で、②のケースは「イケナイ、ダメ」なモノには含まないようです。
  
 老人がインフルエンサーをダメだと言うのは、「ダメ」という言葉(観念)の適用範囲が広いからである。というただそれだけのハナシでした。
 
 
 
 


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