他人と比べるのは何かのサイン
どうも、こんちわ、7歳〜22歳まで14年間駆け抜けたサッカーから離れて人生2.0移行中のSASAKIです。読み続けることで世の中をサバイブできるnoteがこちらです。ようこそ、サバイバルワンダーランドへ。小2から大学4年までゴールキーパーをして、プロ志望でしたが、大怪我して、現在は就活してバイトしてnoteして筋トレして、サバイブできる能力を求め探究しています。
世間体
自分の今を周りに伝えたり、周囲を見比べた時、世間体を気することがあるのか? どこ出身、どこ大学、どんな職業、この問いかけをされていて、引き気味に答えているのを見ると、なぜ、自分のこれまでの選択に堂々とできないのだろうって疑問に思った。
やりたいこと、目指したいこと、夢であったり、成し遂げたいことであったり、この答えを伝えるときこそ人生で一番堂々とすべきだ。よくぞ聞いてくれた、この姿勢で言ってやる。
相手の問いかけの期待値なんて気にしなくていい。自分の決定と志を他人と比べるから、良し悪しの感情が生まれるのかもしれない。他人と比べた評価は当てにならない。するなら昨日の自分とクラベロ。
気になる?それはサイン
他人にどうこう思われる、見られるからって、他人に良いように感じてもらえる答えや、人生には、自分の価値観は入っているのだろうか?あなたの人生は誰が生きるの? この俺自身。
世間体を気にしだした時こと、信念・志がブレ始めているサインだ。
自分に問いかけよう。答えは外じゃなく、ここ(inside)にある。
他人見渡しても答えはない、自分が正しいと思ば正しい。
理由がなければナヨナヨする。理由があるから堂々とできる。
生きる時間に理由を持たなければ、他人の人生を生きることになる。
主体性を発揮して、最高のご褒美、人生ゲームをプレイする。内なる信念から生まれる志とビジョンがあれば、どんな状況でもサバイブできる。
サバイブ23年目、まだ動物園で守られている、熾烈な生存競争で生き抜きたい。
Survive survival.
SASAKI
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