抗精神薬と私の歩み1

「抗精神薬と私の歩み」


色んな精神科、精神科医に見てもらってもう7年が経とうとする。
私が精神崩壊した根本的な原因は検討はつくが記憶が曖昧で複数ある。

解離性障害、軽度知的障害診断継続している現在、重症的な解離は起こさなくなったが、未だに昼と夜の自分が繋がらない。記憶は繋がっているが思考、顔つき、メンタルが違う。
翌朝必ず正気に戻っている。あの夜の激しい情緒は何だったのか。考える暇もなく朝の身支度や家事、仕事が始まる。

軽度知的障害は初期の入院で判明したが果たして今より重症だった頃に検査した数値が正しいのか不明である。
発達障害診断はされていない。知的障害だけというのが珍しいと思う。知的障害発達障害併発する患者がまわりでほとんどだからだ。

初診のとき心療内科→内科に行った先の精神科で、内科の先生にこれは大変!といわれ奥の処置室?で看護師に椅子に座らされてドグマチールを飲まされた数日後のことだ。
ドグマチールは胃薬として処方されるがロナセンと同じ薬である。
私は対人関係やこれまでの人生、就活に行き詰まりお先真っ暗で目の前の精神科の待合室の光景がぼんやりしながらも光が眩しく見えて小さな声や靴音さえ過敏に反応し、暗がりに行きたがる自分の様子が症状に現われていた。

精神科初診の主治医は半ばお世話になるが処方薬の過剰で最終的にはこちらから身を引き現在の小倉記念病院緩和ケア精神科になる。

主治医はなまり口調でカルテやメモの字が下手くそでなんて書いているかも分からない象形文字と呼んでいたが、話は優しい分かりやすい。初診から初期頃の処方薬も控えめだった。

スルピリド、レスミット

初診時の処方薬。もう今は縁のない薬だ。

エビリファイ、セパゾン、バファリン、リスペリドン液体、ドグマチール

メジャートランキライザー以外はもうなんなのか知らない。

こんな風に短期間通院するたびに増える薬。
よくならない症状自分が自覚している症状そうではない記憶が曖昧な症状、自然と薬に興味を示し薬が手元にあることに安心するようになった。

初診からわずか1ヶ月後、産医大精神科閉鎖病棟に初入院。

入院の計画書に書かれた病名は統合失調症。

短大は無事卒業するが入院中お休みし、入院というものを幼少期以来久しぶりにした。がとても休まる場所ではなかった。
スマホパソコンが使えないことにイライラした、大部屋のベッドが簡素で狭く他の患者が問題行動(タバコを部屋で吸い強制退院)、身体的疾患を持った寝たきり患者や重症患者は一人部屋でモニター監視や介助で忙しいナースステーション、愛想の悪い看護助手や警備室のおっさん、そして医局に入ってまもない若い男性医者が主治医。

根本的な解決には至らず寝て起きてご飯食べて外出は敷地内1時間以内でタバコは吸えない。風呂は週3。
ただ離れた閉鎖病棟の箱のなかで大人しく過ごすしかなかった。


つづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?