和菓子のルーツや文化を知る
みたらし団子
京都市左京区にある下鴨神社の神饌菓子として誕生した菓子。かつては人体にかたどった団子を神前に供え、祈祷後に自宅に持ち帰って食べる風習がありました。団子は五体を象徴しているため、もともとは1串5個の団子が挿さっていました。
下鴨神社前にある “加茂みたらし茶屋”はみたらし団子発祥の店として有名です 。『出来斎京土産』(1678年)には下鴨神社のみたらし団子を販売している様子が描かれています。
長命寺桜餅
江戸発祥の桜餅。東京の隅田川堤近くにある長命寺の門番が、土手の桜の葉を塩漬けにして、餡入りの餅を巻いたのが始まりであるとされています。
ちなみに“道明寺(餅)”は関西発祥の桜餅で、材料として使われる道明寺粉を生み出した道明寺(寺)は、大阪に実在します 。
『江戸自慢三十六興 向嶋堤ノ花并ニさくら餅』(1864年)には、 女性2名が 「桜もち」と書かれた竹籠を持ち歩く様子が描かれています。
カステラ
室町末期、ポルトガルから長崎に伝来した焼き菓子。その名称の由来は、かつてイベリア半島に存在したカスティーリャ王国のポルトガル語 “Castella”であるとされ、カスティーリャ王国の菓子を意味する“ボロ・デ・カステラ”が「カステラ」になったといわれています。(諸説あり)
カステラ伝来当時は大きな鉄鍋を炭火の上に置き、鉄製の蓋の上にも炭火をのせて上下から熱して焼いたそう。
羊羹 (ようかん)
中国の羊の肉を使ったスープ(羹/あつもの)を原形とする和菓子。鎌倉時代~室町時代、禅僧によって日本に伝えられましたが禅宗では肉食が禁じられていたため、代わりに小豆や小麦粉、葛粉などから作られたのが始まりであるといわれています。
江戸時代の百科事典「和漢三才図会」には竹の皮に包まれた羊羹が描かれています。竹の皮は抗菌性に優れ、菓子の包装に使われており、当時は専門店「竹皮屋」もあったのだそう。
飴 (あめ)
砂糖や穀物由来のデンプンを糖化させて作られるお菓子。江戸~明治にかけては、“飴売り”と呼ばれる行商人が派手な衣装に身を包み、歌や踊りを披露して飴を販売していました。
当時、渦巻模様は飴売りのトレードマークで、衣装や看板にはよく描かれたのだそう。
『近世商賈尽狂歌合』には「唐人飴売り(とうじんあめうり)」が描かれています。これは異国風の格好をした飴売りのことで、踊ったり笛を吹いたりして特に子どもから人気を集めました。
辻占 (つじうら)
生地の中に占いの紙片が入ったお菓子。江戸時代頃から作られるようになったもので、占いは恋愛に関連した内容が多かったことから、特に花街で人気がありました。石川県・金沢では正月の縁起物として家族や友人と楽しみながら食べる習慣があるそう。
『藻汐草近世奇談 3編下之巻』(1878年)には辻占煎餅を焼く様子が描かれています。もともと辻占は、道の交差点 (辻=神の通る道)に立って通りすがりの人々が話す言葉を神の信託として占うもので「万葉集」にも記録が残されています。
菱餅
3月3日、桃の節句の行事食。古代中国の“上巳節”で食される餅がルーツであるといわれており、中国から伝来した当初はヨモギを入れた餅を食べる習慣がありました。
現在のような三色菱餅が定着したのは明治以降で、それまでは色合いや餅の段数に若干違いがあったそう。
3色にはそれぞれ意味が込められており、桃色 (魔除け)・白色 (子孫繁栄)・緑色 (魔除け、健康)を表すとされています。
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