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放送大学とマンスプレイニング
放送大学がとんでもない講義を開講しまくっているので書くことにした
マンスプレイニングとは:
マンスプレイニング(英語: mansplaining、男 (man) と説明する (explain) という動詞の非公式な形の splaining のブレンド語)は、「(男の)見下したような、自信過剰な、そしてしばしば不正確な、または過度に単純化された方法で女性や子どもに何かについてコメントしたり、説明したりする」という意味の批判的な用語である
放送大学では「物理の世界」、「入門微積分」、「解析入門」のような理系科目も聴講出来るのだが、それらの講義内容がことごとくひどい(例示した科目は私が実際に内容を確認したもの)
何とこれらの理系科目では男性教授が聞き手を務める女性にレクチャーするという形式で講義が展開するのである。当然ながら聞き手である女性は「馬鹿な女」を演じることが強要されており講義画面の絵面はとんでもないことになっている。私が確認した3講義は全滅である。ひどいものだと「聞き手の女性」は数学で学位取ってるのに何もわからないフリをさせられている
「もう忘れちゃいましたー」とか聞き手なる女性に言わせてるんじゃねえよ、放送大学のバカ
大体、放送授業なんだからただ単に男性教授が一方的に話せばいいだけであるのに何故聞き手なる謎の役割の人物を登場させ、更にその聞き手は無知を演じる必要があり、挙げ句それが女性である必要があるのは何故なのか
おそらくこの「聞き手」なる謎の役割は受講生の代理であるというのが放送大学の意図なのだろう。しかしそのようなカウンターパートを女性に押し付けること自体がジェンダー規範的でありただの男女差別である
全体的に理学部工学部特有の「女は無知だから優れた男性様が難しい数学を劣悪種の女に教育してやろう」的なあの悪い空気が全面的に出ている感じであり、最強に気持ち悪い
何故放送授業であるにも関わらず女性に「馬鹿な女」のフリを強要しているのか、ただ単に受講者の代理を画面に出す必要があるなら別に男性でもいいはずなのに何故女性ばかりなのか、そもそも何故男性が女性に講義するという形式が固定化しているのか、挙げ句その「馬鹿な女性」に知識を押し付けている男性教授の中に東大名誉教授が混じっているような授業まであるのは放送大学としておかしいとは思わなかったのか
中には2024年に新規撮影されたような講義まであるのだが、2024年にもなって放送大学はマンスプレイニングして「女は男性様に逆らうな」というジェンダー規範的な社会を推進しようとしているのか
とまあ大学が率先して講義レベルで男女差別している上にそのことを自覚してもいないならこの国はもうおしまいだろうという話