「頑張らなくていい」の本当の意味
ここ数年、「頑張らなくていい」っていう趣旨の本が増えてますね。
私はもともと超真面目ちゃんで「頑張らない奴らが許せない」タイプだったので、その頃の私なら「何をユルいことを・・・!」と思ってた。
でも、数年前に仕事で大挫折を経験したときには、本屋に行ってこういう類の本を読み漁ってました。なんと都合のよい私・・・。笑
でも、そんなときも、心はいつも、ちょっとモヤモヤしてた。
「本当に、頑張らなくていいんだろうか??」
人生、なんでも思い通りにいくわけではない。壁にあたることだって、あるはずだ。
でも、そんなときにも、「頑張らないでいい」となるのであれば、みんな「なぁなぁ」で生きていくことになる。それはなんだかなぁ、と思っていたのです。
実際、私は仕事でリーダー職をやっているので、後輩の悩み相談を受けたり叱咤が必要な場面によく遭遇します。
そういうときに、やっぱり、「頑張れ」って言いたくなる瞬間があるんですよね。
でも、「頑張らなくていい」という説もあるし、実際に自分も挫折したときに言われた「頑張れ」は苦しかったし・・・と思い、どんな言葉をかけるべきかいつも躊躇していました。
結果、「頑張りたいと思うなら頑張ってみたら」という、なんとも中途半端な発言で逃げてましたが。笑
この問いに、モヤモヤを抱えること早数年・・・。
私も過去の挫折を消化できるようになり、最近ようやく答えが見えてきました。
それは、「怖れや怒りが原動力の"頑張る"は、やめた方がいい」。
でも、「自分が心からやりたくてやってる”頑張る”は、おおいに結構」ということ。
この記事にも書きましたが、私はコンプレックスをひた隠すための「頑張る」を続けてきました。
「頑張っていないと価値がない」という、「怖れ」に掻き立てられていたというか。
そのおかげで、仕事や受験で成果を残せたことは良かったですが、頑張っていない状態、何も成果がでない状態が落ち着かない、というようになってしまったんです。
また、原動力の中に、「怒り」という感情もありました。
私の実家は、父の仕事が上手くいかなかった関係であまり裕福ではありませんでした。
だから、「お父さんのせいで私の人生はメチャメチャだ」と父へ怒っていたし、同級生を見て「能天気に悩みなく生きてる奴らには負けたくない」という勝手な怒りも抱えていました。
しばらく、そういう「怖れ」や「怒り」が、私の原動力だったんですね。
でも、人ってね。
ほんとは、そのままでも愛されたいし、人を愛したい生き物なんですよ。
これは、心理学や脳科学的ではよく言われていることです。
「生きづらさ」を感じる人の原因は、幼い頃に人間関係で傷つき、「ありのままの自分じゃダメなんだ」と感じて、現実に自分の人格を合わせようとしたまま大人になってしまったことだったりします。(いわゆる、インナーチャイルドってやつですね。)
つまり、人はほんとうは「そのままでも愛されたい」ってことです。
一方で、人は「自分が人のために貢献している」と実感するときに、脳の中の幸せ物質が放出されるようになっているそうです。
つまり、人の幸せには「人を愛したい」という気持ちが関わっているということ。
だから、自分や人を否定したまま走り続けていることは、人の幸せと逆行することなのですよね。
そんなことしていたら、いつまで経っても幸せになれないわけです。
そんなふうに頑張るくらいなら、一度ストップして、「自分を愛する」「人を愛する」ということからはじめてみた方がいい。
で、それが当たり前にできるようになったとき。
心から、「これをやりたい」「この壁を乗り越えてみたい」と思うことがあったなら、頑張ってみたらいいと思うのです。
やっぱり、何かをやりたいと思ったとき、壁に当たるのはつきもの。最初はできなくて当たり前です。
でも、「怖れ」や「怒り」じゃなく、純粋でまっすぐな、ベースが満たされている状態で「頑張る」なら、自分をすり減らすことにはならない。
きっと、すばらしい高みに到達できる。
このことがわかってから、私は、自分にも他者にも「頑張ろう」と言いたくなったとき、その意欲がどこからきているのかチェックするとことにしています。
それが、もし、「怖れ」や「怒り」だったら・・・。
まずは、温かいコーヒーでも飲んで、大好きな音楽でも聴いて、満たされることからはじめませんか?
それから、「本当はどうしいたいのか」考えたらいいと思います。
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