私たちは、ただ自分の人生を生きるしかない。〜『ひそやかな花園』感想〜
何のために生きていくんだろうー。
真剣度のレベルに差はあれど、こんな問いを考えたことがある人は、実は多いんじゃないかと思います。
そんな、人類にとっての「永遠の問い」の答えの端っこを、チラリと見せてくれるような本に出会いました。
時間潰しで読み始めたら、気付けば一気読み
それは、GWもあと2日に差し掛かった日の夕方。
夫と遠出し、帰りの飛行機まで時間があり、立ち寄った本屋でのこと。
出発時間までの間と、機内での時間潰しが欲しくて、一冊の本を購入しました。
当初の予定では、一旦パラパラと3分の1ほど読み、あとは1週間ほどかけてちびちび読んでいこうと思ったら・・・甘かった。
登場人物たちと一緒に冒頭の問いへの答えを探したくて、遠出の疲れも忘れて一気読みしました。
読んだのは、角田光代さんの『密やかな花園』です。
あらすじ
この小説の軸となるのは、毎年恒例のサマーキャンプ。
それぞれの親に連れられて集まった子供達にとっては、キラキラした宝石のような、夏の一大イベント。
でも、少しずつ不穏な空気が忍び寄り、ある年を境についにパッタリと開催されなくなってしまう。
さらに、各々の親たちは、思い思いの「明らかな嘘」をつき、開催されない理由を隠そうとするのです。
(このあたりの、まぶしい夏の風景や伸びやかに遊ぶ子供達のみずみずしい描写と、ひたひたと醸し出される不気味な描写との絶妙なバランスが、本当に芸術的・・・)
そこから数年後。ひょんなきっかけから再会した子供達は、あのキャンプの真相を突き止めるために動き出すのですが、そこには彼らの「出生の秘密」が隠されていて・・・という風に、話が展開していきます。
「乗り越える」のではなく、「受け入れる」
「秘密」については、詳しくはネタバレになるので避けますが・・・。
ざっくりと、『世間的にヨシとされにくいルーツを持っている』とでも表現をしておきましょうか。
しかし、ネタバレを避けるためにしても、こんなチープな表現しかできないことが本当にもどかしい。
そのくらい、何ともずっしりくる、「秘密」なのです。
私は、彼らのルーツが明らかになったとき、あまりの衝撃にただただ呆然としてしまいました。
まるで、自分が無意識的に信じている概念に、ひんやりとメスを入れられるような、そんな感覚。
きっと、読んだ方は十中八九、「自分が彼らだったら・・・」と考えずにはいられないはず。
そして、物語の中盤からが本題。
彼らが自分たちのルーツと向き合い、葛藤し、受け入れようとしていく様が描かれています。
例によって、ネタバレ防止のためにぼやかして表現するのですが・・・。
特に強調しておきたいのは、「乗り越える」というよりも「受け入れる」という感覚が強いな、と思ったこと。
なんとなく、「乗り越える」というのは「大きな波に立ち向かって切り開いていく」という感じがあります。
それは、抗おうとして、肩を怒らせて、突っ切っていくような、そんなイメージ。
一方で、「受け入れてる」というのは、過去から今へと続く道の上を、これからも淡々と進んでいく感じなんです。
そこにあるのは、絶望や不安ではなくて。
与えられた道だとしても、「その中をどう歩くのかは自分の意志で決めているのだ」という、人生の真理めいた穏やかな希望。
例えるならば、波風立つ大海原がふと静止する、「凪」のような心理状態かな。
そういえば、エニアグラムの日本第一人者である鈴木秀子先生が、『聖なるあきらめ』という言葉をよく使っていました。
その感覚と近いんじゃないかな、と思っています。
抗おうとするということは、ときに自分が歩いてきた道や、出会った物事を否定するということと近しい。それに、ものすごく気力や体力を要することなので、かなりしんどいと思うのですよ。
よっぽど強くないと、折れる。
でも、事実は事実として見据えて、「淡々と足を進めていく」というのは、冷めているように見えつつ、合理的で理にかなった生き方なのかなと思うのです。
与えられたものは変えられないけど、この道をどう歩くかは自分次第。
『ひそやかな花園』の中に、こんなセリフが出てきます。
”ただ、生きなくちゃならない自分の人生がある、ってだけ”
角田光代『ひそやかな花園』(P288)
この言葉は、子供たちの中の1人(と言ってもこの時はもう成人しているのだけど)が、秘密に関わっていた人物と面会し、その人が語ったセリフの一節。
これね、誰しもに言える言葉だと思うのです。
私は、彼らのような重々しいルーツは、きっと持っていない。
でも、人生の不条理さに思い悩むことや、「自分はいったい何のために生きているのか」とわからなくなることは、幾度となくありました。
それは、就職活動や仕事に挫折したりと、大きな壁にぶつかったとき。
そして、夜中に急にひとりぼっちの気分になるとか、ふとした瞬間に顔をのぞかせることもある。
普段は、そんな感覚が自分の中にあるなんて、気づかないで生活できるほどに存在は消されています。でも、人知れずに心の奥底で飼い慣らしているんでしょうね。
少なからず、こういう気持ちをもったことのある人って、多いと思うのです。
でもね、「なんでこんなことが起こるんだろう」とか「なんで私ばっかり」とか「なんのために生きているんだろう」なんて考えても、仕方ないんですよ。
だって、考えていても、答えなんて出ないんだから。
唯一、答えを出せるとしたら、自分が自分の人生にどう意味づけをするか、だけなんですよね。
私たちに与えられたものは、変えられない。私たちは、この道の延長上を、歩いていくしかない。
ただ、この道をどう歩くかは、自分次第。
ジタバタしたって、逃げようとしたって、閉じこもろうとしたって、真理はそれでしかない。
だったら、自分で決めた一歩を、踏み出していこうじゃないか。
そんなことを、静かに、でも力強く、思わされたのでした。
人生の選択に迷った時や、自分を取り囲む不条理に潰されそうになった時、読み返したい本です。
特に、ラストのエピローグ。ここを読み返すだけでも、爽やかで前向きな気分になれると思いますよ。
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