見出し画像

何があっても、歩き続けようと思った ーハロルド・フライのまさかの旅立ちー

「おじいさんが、ボロボロになりながらも歩き続ける」
この映画を一言でいうなら、ただそれだけの映画。

でも、観終わった後は、ほろ苦さと苦しさと、でも、ひと握りのあたたかさが、じわっと染み込んでくる。
そして、「あぁ、これが人生なんだな」と、35歳の私でも勝手に70歳くらい生きたような気持ちになる。
そんな、濃厚な映画でした。
 


あらすじ

定年退職し、妻のモーリーンと平凡な生活を送るハロルド・フライ。ある日、北の果てから思いがけない手紙が届く。差出人はかつてビール工場で一緒に働いていた同僚クイーニーで、ホスピスに入院中の彼女の命はもうすぐ尽きるという。ハロルドは返事を出そうと家を出るが、途中で心を変える。彼にはクイーニーにどうしても会って伝えたい“ある想い”があった。ホスピスに電話をかけたハロルドは「私が歩く限りは、生き続けてくれ」と伝言し、手ぶらのまま歩き始める。歩き続けることに、クイーニーの命を救う願いをかけるハロルド。目的地までは800キロ。彼の無謀な試みはやがて大きな話題となり、イギリス中に応援される縦断の旅になるが──!?
(公式HPより:https://movies.shochiku.co.jp/haroldfry/


ちなみに、800キロって言われてもピンとこないかもしれませんが、東京・新宿からの直線距離で言うと大分まで行けちゃうくらいらしいです。その距離を、ご老人が徒歩で向かうんですからね。

しかも、完全なる「思いつき」で歩き出すので、革靴にワイシャツという軽装備・・・・。自殺行為ですよ、普通に。


歩くことは、生きること

(ここから一部ネタバレ含みます)

歩き出した最初の方こそ、迷いのない、しっかりとした足取りで、時には周囲の美しい自然に息を呑んだりもする。

その姿からなんとなく、この映画は、「おじいさんが旅をしながら個性豊かな人々と出逢って交流していく、ハートフルなロードムービー」なのではと期待してしまった。(ポップな広告とあいまって)


でも、違った。厳密にいうなら、半分正解で、半分間違っていた。


正解の部分は、「旅をしながら個性豊かな人々と出逢って交流していく」ということ。

間違っていた部分は、9割型ハッピーな話ではなかったこと。
映画が始まって30分もすると、もう、ほぼ暗い。足にできるマメ、ボロボロになる靴、容赦なく降りかかる自然の厳しさ。正直、ハロルドが痛々しすぎて、みずぼらしすぎて。目を逸らしたかった。

そこに、イギリス特有の厚い曇天が覆い被さって、もう救いがないんじゃないかと思うような暗さだった。

その感覚は、何かに似ていた。自分の人生の中で、後悔していること。もう葬り去りたいような、自分の醜い部分が露呈された出来事。それを思い出すときのような、あの苦々しい感覚。

実際、ハロルドは、旅の中で自分の中の苦々しい記憶を思い出していく。時に悪夢に苛まれて、発狂したりもする。そう、この旅は、ハロルドが自分の人生で蓋をしてしまった、「あやまち」に向き合う旅だったんです。

きっと、この「歩き続ける」という行為は、そのまんま、人生なんだろうと思った。

生きていると、いいことばかりじゃない。苦しくて、辛くて、押しつぶされそうになることもある。痛くて痛くて、立ち上がれない、このまま消えて無くなりたいと思う瞬間もある。

でも、それでも、歩き続けないといけない。痛い足を引きずって、醜くても、歩くしない。そんなメッセージがずしずしと迫ってくる感覚でした。


最後は、一人で歩いていくしかない。それでも、救いはある。

途中、ハロルドはイギリス中の人気者となり、大勢の取り巻きが現れ、パレードのような体を成しはじめる。オリジナルのTシャツを作って、みんなでキャンプなんかして、もはやレジャー、ないしはエンタメ。

でも、結局、その人たちの中の誰とも、ハロルドの根本の気持ちは共有できなかった。もどかしさ・虚しさを感じたハロルドは、自分で取り巻きから離れていく。一方、最後まで寄り添っていた相棒(野良犬)は、急に離れていってしまう。(犬を飼っている身としては、あのときの絶望感はかなりきつかったです・・・)

生きていれば、一緒に歩いてくれる人もいる。時に、それが心強く、明るい気持ちにさせてくれることは確かだ。

だけど、根本的に、人は「一人で生まれ、一人で死んでいく」ものだ。その宿命を引き受け、周りに持て囃されようが、見放されようが、淡々と歩いていくしかない。そう、これも人生のセオリーなんですよね。


そして、様々な困難を乗り越え、最終的にハロルドは目的地に到着します。たった一人で。感動の再会・・・となるかと思いきや、そうもいかない、というのがまた人生。

「これを成し遂げれば、きっと何かが変わるはず」

なんて思って頑張って、本当に成し遂げても、急に人生は変わらないんですよね。奇跡なんて起きない。そこには、ただこれまでの延長の明日があるだけ。

でも。それは、ほんの表面的な部分だけでの話なんです。本当に大事な変化は、「目に見えないところ」で、確実に、起きているんですよね。ハロルドの場合は、ずっと目を背けていた、妻との関係。そこに向き合おうとしていたわけではないのに、結果的に一番大きな向き合うべきものに直面させられるという、これもまた人生。

映画のラストシーンでは、キラキラした光が、鈍色の空を、街を、天井を照らしていました。ハロルドの勇気が、劇的に世界を変えたわけではないけれど、彼と妻の心と、彼がすれ違った人々の心にほんの少しの希望を灯した。小さいけれど、とても、大きな変化。


最後に


この映画は、決して派手な終わり方ではない。800キロの集大成の割には、なんだかあっけなくも感じてしまうんだけど、それこそが、まさに人生、だと思う。日々は、ただ淡々と続いていくんだから。

でも、その淡々とした中にも、きっとみんなそれぞれ小さな後悔や「あやまち」を背負っていて、見て見ぬふりをしている。だけど、勇気を出してそれを紐解いて、向き合うとすると、きっと大切な何かに気付くことができる。

人生って、ほんと辛いこともいっぱいあるけど、でも、大丈夫。そこから学んで、大事なものにひとつひとつ、気づいていけばいいよ。

9割が曇天模様の映画でしたが、最後に一筋の希望が見えたような、そんな映画でした。繰り返しますが、まさに、人生そのもの。

この記事が参加している募集

記事を気に入っていただけたら、サポートお願いします!いただいたサポートを元に、いろんな体験をして感じたものを表現していきます。