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映画「ゴジラ−1.0」に見る、人間と自然の関係性に関する聖書的な解釈

 先日、話題の映画「ゴジラ−1.0」を映画館で鑑賞してきた。舞台は、第2次世界大戦直後の荒廃した日本。焼け野原となりながらも復興に向けて力強く取り組む人々の前に、突如、未知の巨大生物「ゴジラ」が現れ、日本に襲いかかるというストーリーだが、やはり目を引くのは山崎貴監督が手掛けるVFX。日本映画で初となる米国アカデミー賞の視覚効果賞にノミネートされたことでも注目をされている。個人的に山崎監督のVFXと言えば、映画「三丁目の夕日」のほんわかとした戦後の昭和の雰囲気が好きなのだが、同じ時代を舞台にした映画でもここまで違う描き方が出来るのかと驚いてしまった。

「ゴジラ-1.0」米アカデミー賞視覚効果賞で日本映画初ノミネート入り「新しい扉が開いた感じ」
米アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーは23日、第96回同賞のノミネートを発表し、ゴジラ生誕70周年記念映画「ゴジラ-1.0」(山崎貴監督)が視覚効果賞にノミネートされた。23年12月21日(日本時間22日)に発表した同賞のノミネート候補10作品に残り、ショートリストに選出されたが、そのこと自体、日本映画では初めてだった。(日刊スポーツ/2024.1.23)

ところで、1954年に公開された記念すべき第1作目の「ゴジラ」は核兵器の使用とその結果生じた被害に対するメタファーとして制作された作品であることはよく知られている。ゴジラは人間による自然への過度な介入、特に核実験によって生み出された怪獣として、人間の技術的進歩がもたらす環境への影響に対する警鐘として強いメッセージ性が込められているわけだが、ここには、キリスト教の創造物に対する人間の責任という教えと関連付けることができる。

被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。(ローマ人への手紙 8:20-22)

 上記、聖書箇所には、被造物=創造物(自然界)は現在、人間の罪によって虚無と苦しみの状態に陥っていることが記述されている。しかし、その苦しみは、神の意志によるものなので、将来の栄光に向けた過程なのだと捉え、希望を持つべきであることも同時に書かれている。『ゴジラ』における、人間による自然界への介入とその結果としての破壊と復興は、まさに人間の罪と、それによる自然界の「うめき」と「再生の苦しみ」だと理解できる。様々なテクノロジーが進化をしている現在、人類社会は日々、自然界に介入しながら進歩し続けている訳だが、自然との調和的な共生、および敬意と責任を意識しなければ、自然界の期待する希望を得ることはできない。これは聖書のメッセージと『ゴジラ』に描かれるテーマ、両方に共通する重要な要素だと捉えることができるのではないだろうか。

 戦後の混乱と焼け跡から立ち直ろうとする、社会の不安や恐怖を象徴的に描く、第1作目のゴジラから70周年という節目に原点回帰された「ゴジラ−1.0」。
エンタメ作品として世界から評価されるVFXを堪能するのも良いが、70年間、受け継がれてきた「ゴジラ」の社会的なメッセージにも是非、注目してほしい。

ゴジラ-1.0 公式サイト https://godzilla-movie2023.toho.co.jp

(text しづかまさのり)


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