枝垂桜

父の「行ってらっしゃい」

 私は親不孝な娘だった。

 仕事が忙しいのを口実に(なかなか休みが取れなかったのは事実ではあるが)、とんと実家には寄り付かないできた。

 都内の自宅から横浜の実家まで、電車で1時間半もあれば行ける。なのに、帰るのは正月休み中の1日だけ、くらい。墓参りに宮崎に行く回数より、両親の顔を見に横浜に行く方が少ないくらいだった。

 便りのないのは良い便り、とばかりに、親が元気であるのをいいことに、ほったらかしていた。

 地方勤務で実家を出てから30年近く。実家は「父母の家」であって、「私の家」でなくなって久しい。「ただいま」ではなく「こんにちは」と尋ね、辞する時も「お邪魔しました」だった。

 若かった頃は、あれやこれや世話を焼きたがる過保護な母の影響下から早く抜けたかった。30代になると、「結婚しないの」「子供は産まないの」と聞かれるのも、聞かないように気を使われるのも面倒だった。

 そして幸い、仕事が忙しい間、両親はなんとか元気でいてくれた。

 だが、親も年を取る。父は84歳、母は76歳。状況は変わった。

 昨年6月、父が施設に入った。もともと認知症で、母が一人で在宅介護をしていたが、症状が進んで看切れなくなったのだ。

 施設に入った父を見舞うため、私は就職して初めて、1~2週間に1度、実家や施設で両親と顔を合わせるようになった。たまたま、余裕がある職場に移った後で、親に会いに行く時間が取れる環境にいた。

 だが会いに行く回数が増えるのと反比例するように、父の病状は悪化していった。まるで私に時間ができるのを待っていたかのように。私が暇になったのを察して、安心して具合が悪くなれると思ったのかしらというふうに。

 8月末に私は28年5カ月勤めた会社を早期定年で退職した。

 時間ができたところで、母や妹と、父の具合があまりにおかしいという話になった。昼も夜もぼーっと眠っているばかり。改めて医者に看てもらうことにした。

 そこから詳しい知人に相談し、医者を探し、ケアマネジャーと相談した。医者を変えて分かったのは、父の具合の悪さは、認知症の症状のせいばかりではなく、前の施設で過剰投与された睡眠薬によって意識障害レベルまで意識が落ちていたせいだった、ということだ。

 睡眠薬を抜くために認知症の専門病院に入院させ、退院後に入るべき別の施設を探した。だがその入院中に高血糖に陥り生死の境をさまよい、転院させて治療させ、ようやく安定したので退院させて、新しい施設に移し――怒涛のような数カ月だった。

 幸い、今は血糖値は安定している。眠るばかりだった父が今は、昼間はちゃんと起きている。後戻りできないところまで脳の萎縮は進んでしまったものの、箸を持って食事することはできる。食べることは父のささやかな、かつ最大の楽しみだ。

 かつて実家では、おしゃべりな妻と娘に気押されて寡黙だった父が、自分から何かを話そうとすることも多い。意味の分からないことがほとんどだが、言葉を発し、一生懸命に何かを訴えようとしている。コミュニケーションを取ろうとする。

 もう私を娘と認識できるタイミングはほとんどない。それでも時折、ふっと回路がつながり、昔の父が戻ってきている瞬間がある。目が合うと、目の奥に、昔のままの父がいる。父らしい慈しみ深い温かい目線で、私や母や妹や甥・姪を見つめ、嬉しそうに笑う。

 そういう、「ふっと我に返った」ような瞬間が、時折あるのが切ない。その時間は徐々に短くなり、かつだんだん減って来ている。半年ほど前は1時間のうち5分くらい、3度ほど回路がつながった時間があったように思うが、今はもう、1時間の間にそんな瞬間は5秒ほどで、1、2回あるかどうか、だ。

 でも、いずれ、その5秒も3秒になり、それすらなくなり、やがて二度と回路がつながることがなくなるのだろう。その日が訪れることが分かっているから、切ない。だからこそ、今この瞬間を、回路がつながるかもしれない時間を、時折つながる回路を待って、大切にしなくちゃと思うのだけれど。

 何より切ないのは、施設から帰る時だ。母や妹が「また来るね」と言うと、「またね」とか「バイバイ」とか「元気でね」とか返す父が、私にはいつも「行ってらっしゃい」と言うのだ。その瞬間は、回路がつながっている。しっかりと目力のこもった視線で、「行ってらっしゃい」と、はっきり言う。

 行ってらっしゃい。

 そう。実家から帰る時、いつも父はそう言って私を送り出した。「行ってらっしゃい」。

 お仕事に、行ってらっしゃい。がんばってね。

 そんな気持ちのこもった「行ってらっしゃい」。

 そうなのだ。父にとって私はいつも、仕事に出かけていく娘なのだ。盆暮れより少ない回数、たまーに、実家に顔を出し、嵐のように去っていく娘。親を放っておいて、「仕事に行ってくるね。次またいつ来るかわからないけど、元気でね」と、勝手に出かけて行く娘。

 父の中の私は、そんな、バリバリ働いていたころの、私のイメージのままなのだ。

 そう思うと、ちょっとだけ申し訳ないなと思う。最後まで、父の望む「バリバリ働く、自慢の娘」のままでいなかったことを。でも、退職したからこそ、父を見舞う時間が持てるので、論理矛盾だと分かってはいるのだが。

 それに父にはもう、私が退職したことは理解できない、はずなのに。

 でももしかしたら、とも思う。どこかで父は分かっているのかもしれない。であればきっと、退職した私の判断を認め、「今までよく頑張ったね」とねぎらい、褒め、慰め、慈しみ溢れる目で、行く末を見守ってくれることだろう、と思う。言葉には出せないだけで、父の中には、本当はそんな感情が埋まっているのかもしれない。

 そんなことを思う卯月。

 父の住む施設(ホーム)の庭にも花笑う

(2017・4・27執筆)

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