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自分で変えられるものと変えられないものについて、環境を変えてしまうという冒険のすすめ

変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ

ラインホルド・ニーバー

このニーバーのことばは、変えられないものにとらわれずに、自分でコントロールできる変えられるものに集中せよと理解されているのですが、

自分が暮らし、働く環境を良くしたい。
そう誰しもが思いながら日々の生活を送っていると思います。

そして、そこにはともに時間を過ごす人がいて、自分ではどうすることもできないことがあります。
だから、そのような変えられないものについては受け入れて、今いる場所に踏ん張って、自分にできることを探し、チャレンジすることが勧められます。
そこで、変わっていくこともあるでしょうし、変わらないこともあります。
もう少し粘れば変わっていくかもしれないこともあります。

このように、今いる環境を自分の努力で変えていくというのは並大抵のことではありませんよね。

しかも、何が自分で変えられることなのか、それを判断することもまた至難の業です。
それが分かれば苦労はないでしょう。

じゃあ、結局は今の環境を受け入れる努力をするのか。

よく他人は変えられないが自分は変えられると言うけれども、
果たして自分自身も変われるのだろうか?
自分もまた変えられないということを受け入れるのも冷静な判断です。

変われないのだとしたら、自分に合った適材適所を探す以外にない。
最終的に自分で積極的にできることは、自分の暮らしや働きの場所、環境を変えるということです。
これが自分でコントロールできる最終にして最善の生き方なのではないかと思います。

でもこれには相当のエネルギーが必要ですよね。
覚悟、お金、家族や周囲の理解、新しい場所探し、勇気・・・・
いずれにしても、相当の負担でしょう。

もちろん、環境をガラッと変えたところで全て思い通りに行くような保証はどこにもないし、自分の中にある課題によって同じ問題を繰り返してしまうことだってある。

冒険したいか、したくないか、それもまた一人ひとりの価値観の違い。

結局は自分に合った行き方をしていくしかない。

でも、恨みつらみを抱えながら今の場所に歯を食いしばって居続けるなんてもったいないじゃないですか。

人に迷惑がかからないなら、

人にどう思われようと、冒険するのもありなのでは。

世界は広い、自分の時間は有限だ!





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