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回り道から見える景色(無駄は無駄じゃなかったり)

AIがもてはやされて、日常会話でも友人や同僚とその話題になることがよくあります。

今日はそんな会話をしながら思った、効率と無駄について書いてみたいと思います。

自分でやらなかったことは、いつまでもできるようにならない。

自転車に乗ったことのない人が、いきなり補助輪無しで乗れるでしょうか?

(一部の天才を除いて)難しいでしょう。

料理を作ったことも、みたこともない人が、突然絶品トマトパスタを作ることができるでしょうか?

おそらく(一部の天才を除いて)難しいでしょう。

冷蔵庫、洗濯機、ガスコンロ、私たちの周りにはあらゆるテクノロジーで溢れています。

パソコンもスマホもしかり。

計算機もカメラも、日記も辞書も、ものすごい情報処理をデバイス1つでできてしまいます。

でも、その中で何を探すのか、どのように探すのか、計算をどうすればいいのか。

そう言うことはもちろん調べればわかるけれど、実際にやってみないとできるようにはなりません。

随分とくどい言い回しですが、何が言いたいかと言うと、「めんどくさいこと」をやらないと自分の身につかないことが結構あると言うこと。

そして、めんどくさい、遠回りに見えることが、歳をとった自分を支えてくれることもあると言うことです。

今はなんでも、機会やシステムにお任せすればいいと言う流れがあります。AIに聴けばいいのだ。もちろんそうです。

でもAIもシステムも、あくまで手段であり、自分が何をしたいのかとか、根本的な問いは、回り道して、じっくり考えても出ないものだったりします。

日々の生活の中に、充実を求めるのであれば、遠回りする余裕とか、めんどくさいを楽しんじゃう心構えみたいなものが必要です。

最近は忙しさにかまけて、インスタント食品に頼ることが多かったのですが、昆布だしをとって、たっぷり旬の野菜を入れた手作り味噌汁を作りました。

味噌はおばあちゃんの親戚から取り寄せた新潟のお味噌。

米所のお味噌はやっぱり美味しい。地元の野菜も美味しい。北海道からやってきた昆布だしが染みる。

こんなこと、インスタントを使えば不要なことです。でも、これが豊かさだと思うのです。

地球が、自然が私たちの暮らしを支えてくれる。

そう思うと優しい気持ちになれたりします。無駄を省いてばかりいたら、そんな気持ちにはなれず、働き、スマホ見て、寝る、みたいな生活のルーチンになりそうです。

無駄なことをあえてやってみて、意外とそれが無駄ではないのだ。そんなことを改めて発見する、今日この頃です。

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