「どこでもドア」は、存在する。
目をぎゅっと閉じる。行きたい場所を思い描く。
目をそっと開ける。そこには、自分の生きたかった場所が広がっている。
そう考えると、「どこでもドア」は、現在に存在する。
今日も私は、「どこでもドア」を使った。完成版ではないけれど。
会社はビルの3階。ボタンを押して、ちょっとするとそこは、3階。
「エレベーター」と呼ばれる機械は、「どこでもドア」だと思う。
先日出張に行く機会があった。
そっと椅子に座り、食べたり、考え物をしたり、音楽を聴いていた。
すると、気が付いたら、そこは外国だった。
「飛行機」と呼ばれる機械も、また「どこでもドア」だと思う。
「自動車」も「鉄道」も、同じように「どこでもドア」だと思う。
「どこでもドアがあったらなあ」という人がいる。
「どこでもドアがあったら、行きたいところに行く」という。
ドラえもんに描かれるスピードで移動できる「どこでもドア」ではない。
けれども、人類が発明してきた機械は、「どこでもドア」に近づいているように思う。
「あんなこといいな、できたらいいな」
「あんな夢、こんな夢、いっぱいあるけど」
ドラえもんの主題歌はそう始まる。
この言葉こそ、何かに対する憧れこそ、人間のモチベーションなのかもしれない。
そんなことを、寝過ごしそうになった朝の通勤電車で思った。