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利き手はどっち。

『あれ?秋。って左利きだっけ?』

サークルの友達がそう問う。
視線は、わたしの右手首で光る腕時計。

『んーや、右利きだよ〜』

『いや、じゃあなんで腕時計右手につけてんの笑』

このやりとりを、生きてるうちにもうなんどもしている。
一般的に腕時計は利き手と反対につける。
…どっちだっていいと思うのけれど確かに、不思議に思うのだと思う。

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単刀直入に。わたしは利き手が固定してない。いわゆる、クロスドミナンスというものだ。

この言葉自体、わたしも今年知った。
クロスドミナンスというのは、作業によって利き手が違うということらしい。
日本語では、交差利き、分け利きとも呼ばれているらしい。

それでは、両利きとなにが違うのか。

両利き
…全て等しく、どちらの手でも支障なく、同じだけ作業ができる。

クロスドミナンス
…作業により利き手が違う。両方の手で同じ作業を同じだけできるわけではない。

という違いだったはずだ。

わたしの場合、もともとの利き手が変化し、クロスドミナンスになった。

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幼少期、わたしは左利きよりの両利きだった。
つまり、どちらの手でもなんでもできた。
特に好んで使っていたのが左手だった。

話が飛ぶようだが、わたしは朝ごはんが嫌いだった。

毎朝、並べられたごはんとお箸。
どちらの手でも普通に使える。
ここで問題が起きる。

『あれぇ…きのうのよるごはん、どっちのてでおはしもってたっけ…?』

そうなのだ。
どちらも同じだけ使えるからこそ、
お箸の手がわからないのである…!

一口ずつ、交互に持つ手を変えて試すも、どちらもしっくりこない。
その気持ち悪い朝ごはんがとてもきらいだった。

さすがに気持ち悪い朝ごはんはもういやだ。
ここで小さなわたしはひらめくのである。

よし、その日の気分で決めよう

小さい頃、誰もが教わったであろう、
『お箸を持つ方が右で、お茶碗を持つ方が左なのよ』
わたしは常に思っていた。

いや、どっちやねん…

そもそもお箸どっちの手でももてるんだって。
どっちで持つのかわからないし、どっちが右かもわからない。

そして、どっちの手も等しく使えるのが当たり前の世界にいた当時のわたしは、当たり前のようにみんなも同じだと信じて疑わず、右とか左とか、きのうの夜ごはんのお箸を持つ手とか、すんなり覚えられているみんながすごすぎて、みんなすごいなぁ…としみじみしていた。

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そんなわたしが右利きよりになったのは、小学生くらいのときである。

小学校に入ると、鉛筆の持ち方から、ひらがな、文房具を使った工作、給食に習字学習、様々なことを先生に教わる

そのベースが右手であった。

さらに、周りのみんなは恐ろしいほどに、みんな右手を使っている。なるほど、じゃあわたしもこっちを使ったほうがいいんだな。そう過ごしているうちに自然と右利きになった。

ただし、お箸だけは別の話である。
お箸が右手になったのはもう少し早い。
たまたまおじいちゃんちでご飯を食べるときと、たまたま左手でお箸を持つ日がぶつかってしまった。

『箸は右手で持ちなさい!』

古風な祖父にそう叱られ、そうか…こっちの手でお箸を持つと怒られるのか…幼心にそう刻まれ、お箸は右手で持つようになったのだった。

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わたしの利き手が変化した話は、理解していただけたであろう。

しかし、ここで疑問が生まれる。

雰囲気的に右利きに変わったのであれば、全て右利きに変わっていないのは何故なのか。

両手で作業しやすい手が違うなんてことになっているのはなぜなのか。

その答えは単純である。

誰にも見られていない作業は、もとの利き手(好んで使っていた左)から、わざわざ変えるという過程を踏んでいないから、である。

具体例をあげよう。

例えば、歯磨き。

小学校で給食後の歯磨き学習が行われるようになったのは、わたしが小学校高学年にあがったころである。

つまり、幼い頃は、歯磨きは家でしかしないものであり、特に意識せずに左手で行なっていたのだ。
高学年ともなれば、利き手に違いがあることも理解していたし、そもそもずっと左手で歯ブラシを握っていたため、そこからわざわざ使いにくい右にする必要もなかったのである。

このように、わたしの利き手は、大きくみて公私の場で違いが生まれている。

基本的に細かい作業は、右手の方が使いやすいが、左手も使えないわけではない。

さらに、とっさの時に出る手も、その場面ごとに違うし、とにもかくにも、両手がそれぞれの役割をもっている感覚である。

字を書いたり、お箸を持つのは右手が使いやすく、

歯磨きをしたり、ヘアアイロンを使ったりするのは左手の方が使いやすい。

さらに実家に帰省するためや、旅行で使うキャリーバッグはなぜか左手の方がひきやすい。
傘と歯ブラシは感覚が似ているため、傘を持つ手は決まって左手である。

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そんなこんなで話は冒頭まで戻るが、右手でペンを持ちながら、右腕に腕時計がついてることに疑問に思うようである。

単に、右手についている方が見やすい、それだけのことではあるのだが。

余談だが、わたしは腕時計を右手の手のひら側につけるのが一番みやすい。

つまり、ものを書くときに、時計の天板ががつがつと机に当たってしまう。
普段は、小ぶりな時計を使っているため、じゃまになることはない。しかし、Baby-Gのようなすこしごつめな時計をしてしまうと、手首と机の間に障害物が生まれてしまうため、外すことも多い。

左手につければいいだけなのだけど、今更変えるのもめんどくさいという怠惰な心が生まれてしまう。

めんどくさいというと、なんかちょっと響きがよくないので、最近では、

話題にしてもらえるから、これでいいのだ。

そう思うようにしている。

結果的に、自分でもよくわからないが、クロスドミナンスという言葉の響きがかっこよくて、いい感じに子供心をくすぐられるので、わたしの利き手をわたしは好きだ。という、そんなどうでもいいお話でした。


秋。

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