骨折3週目

やっと手術も乗り越えて復活の兆しがかすかに見えそうな。
流石にうずいてきたぞ。暇だからぼんやりと暇つぶしに考えたことも書いてみる。日記代わりだからね。

1/15
痛み止め無しでも日中過ごせるし、眠れるようになってきた。
生活していても「俺、骨折したっけ?」ってくらい自然ではある。
が、物を持ち上げたり引いたりするなどちょっと力がいることをやろうとすると、痛みが走って「やっぱ折れてるわ〜」と思い出す。で、また忘れて、思い出す。ニワトリレベルの学習力。
でも、手術してよかったな、とすでに思う。
乗りたいけど傷口を覆うテープなどを取る明日までは我慢なので、筋トレしてお茶濁す。

【やったこと】
レッグレイズ20×3回
ブルガリアンスクワット20×3回

【考えたこと】
人それぞれ物事を受け止められるキャパシティがあって、人それぞれ容量は違うと思う。
容量を超えると大事にできなくなって、ヒト、モノ、コトをおざなりにしてしまう部分が出てくる。
おざなりにすると、そうしてしまう自分が嫌いになるし、もちろんおざなりにされた側も傷付くので、誰もいいことはない。
すでに持っているもの、手に入ってしまうものでも自分が大切にし続けられないのであれば、無理に持ち続けて雑に扱うよりも、切り捨てたほうが幸せになる。
それが「足るを知る」であったり「身の丈にあったものを」ってことなのかも知れない。
なのでそういう目標を掲げるときに、
友達100人作る!
じゃなくて
100人の友達を大切にできる自分になる!
のほうがいいのかな、と思ったし、これから自分はそうしていこう。気付くの遅いな。


1/16
通院の日。手術後ガッチガチに固めてたガーゼとかをとってもらい、「汗だくにならないのであれば」痛みの出ない範囲で自転車OK頂く。
勿論いてもたってもおれず当日中に時間見つけて直ぐ乗るわけですが、荒サイのサイクリングロード出た瞬間に、これまで何回もレースで戦ってきた高山さんにエンカウントする。
既に4時間超乗ってるとのことだったが、ちょっとしか時間無いけど一緒に走りましょうと誘ったら来てくれたので一緒に落車すら起こしそうなレベルの北風吹き荒れる荒サイを走る。
まぁ勿論二人で走ったら当然向かい風はローテするだろうと思われますが、まさかの並んで走りつづける脳筋ムーヴ&折り返しすとレースで逃げてるときばりの高速ローテが始まるこれまた脳筋ムーヴ。骨折中にして荒川の南下セグメントをいくつも荒らす。
数時間前に言われた「汗だくにならないなら」、初回にして断念確定\(^o^)/ わかってたけど。
高山さんのお陰で楽しく走れて、帰宅後更に夜ローラーもして、またしても汗だく。バカだねぇ。
溜まりに溜まった乗れないフラストレーションを晴らす心地よいスタートをきれた。医師にはキレられるかもしれんけど。

【やったこと】
荒サイ込み外乗り40kmくらい
ローラー1時間(ズイレー1時間平均278W)


【考えたこと】
「正しさ」は置かれてる状況やものの見方でいとも簡単に変わる結構脆いものだ。
けど、人は自分が思う「正しい」と思う行動を取ることで心の安定を得られている部分が多分にある。
更に言えば、他人がその「正しさ」から逸脱した言動をしていると自分の「正しさ」が本当に正しいのかが揺らぐような気がして不安になって、自分の心の安定を守るためにも、他社に自分の「正しい」と思う行動を強いたり、批判をしたりする。
なんとなーく、自分の思う「正しさ」がそんなに強固なものではないと感じてるからなんだろうけど、実際は他人はその人の思う「正しさ」なんてどうでもいいし、どっちかというと揺らぐのは自分の視点、つまり自分が勝手に揺らいでるだけだったりする。
「正しさ」にきっと最大公約数はあっても正解なんて無いし、自分が絶対に正しいなんてことはないってことを前提にすると、「正しさ」は人に押し付けたり人を批判するためのものでは無い。
自分がより良く気持ちよく生きるために自分自身が貫くものである。
んーむ。考えてみてもなかなか難しいものだな。


1/17
流石にいきなりやり過ぎたのか、お疲れ気味。
汗かいちゃったけど傷周りの状況は大丈夫そう。
仕事から帰ってきてからAペーサー1時間くらいでお茶濁そうと思ったけど10分くらいでシンドいなぁと思ったので思い切ってCペーサーに切り替えて更に30分足回してレストの日とした。今日は控えめに汗だくなのでセーフでしょ。バカだねぇ。
最後に試しに下ハンスプリントしてみたところ900Wくらいで鎖骨に違和感が出た。しかもちょっと残るやつ。痛くはないけどやっちゃ駄目だとブチ切れられてる感が肩から出てるので暫く大人しくする。ほんとにバカだねぇ。

【やったこと】
ローラー40分(Aぺ250W10分 Cペ210W30分)

【考えたこと】
読者諸君が理解できるよう出来るだけ平易な言葉で記述した
的な文面を特に専門的な本で見かける。
読んだ人が自分より専門領域で優れてたら赤っ恥やぞ、とか思ってしまうが、明確な読者層=意図して届けたい人たちが居るからなのだろう。
じゃあ自分にとっての届けたいひとってだれ?って考えてみると、多分一番は自分なんだと思う。
あくまで備忘録だよ、って書き出しで何度も書いてたり、他人にとってはどうでもいいであろうこと、まさにこの文章みたいなことも、そうだと分かっていながら書いているのは、そういうこと。
勿論それが他の人のなにか役に立てば嬉しいとは思うけれど、他人の求める自分に縛られて自分が大切にしたいものをできなくなるのは嫌だ。
じゃあ人目のつかない自分だけ見えるところでやれよって言う人もいるけど、自分以外の誰かに見られるというフィルターをかけることで、自分の中で渦巻く言葉や思考が整理される部分はあると思う。
私が私の形を捉えるために、私がその時どんな形をしていたのか留めるために、都合好くこういう場所は使っていきたい。

1/18
昨日レストとしたのでやる気満々。
高山さんと待ち合わせて荒サイ。この日は斜めから地味ーに風が吹いてて「なんか進まない」日。
「抜糸するまではLSDくらいにしといたほうがいいですよ」ってアドバイスした本人がいきなり高速巡航始めたのでそこから1時間高速ローテ。
きっちりシンドくなりながら体の感覚も少し取り戻すきっかけが見えてきそうで、ほんとに感謝。
夜に追い練でZwiftしたけど、流石に疲れてるのかズイレー中ら1時間15分くらいで力尽きてしまった。
まぁ、トータル3時間乗れてホックホク。もちろん汗ダクダクのダク。バカだねぇ。

【やったこと】
外乗り荒サイ 53km
ローラー1時間半(ズイレー平均260W)

【考えたこと】
とかく目的を達成すること、そのために明確な行動計画を立てて的確な行動をすることがヨシとされる。
まぁ実際にはそううまくは行かないとか、だから状況に合わせて柔軟に変更を検討するのが大事とかあるけど、まずそもそも常に目標に向かって一直線!ってほんとに良いことなのかな?と思うときがある。
目的地があるときに、たしかに最短距離を進めば早くつくんだけど、ふらっと道を外れたことで得られたかもしれない発見や出会いってものは失っているような気がする。
欲しいものだけ欲しい
ならいいかもしれないけれど
まだ自分が知らない何か心動かすもの
とかに出会うっていうのも、中々楽しいものだと思う。
道草ばっかり食ってるとそれこそ欲しいものが手に入らないから、程々にしないとだけどね。


1/19
昨日の晩に余りにも汗ムレムレなので処置してもらったものを剥がして、自分で買ってきたものを傷から剥がして過ごしてみた。
特に問題はなさそうだし、仕事の帰りに更にいいものを見つけたので毎日手術の傷を洗って清潔に保ってみる。
足の疲労もあるし夜も美味しいご飯があったので今日はノートレ。
いや、骨折治療期間に「今日は」ノートレって逆やろ。しっかり休めぃ(無理

【考えたこと】
「嫌い」の共有に意味はあるのか。
いや、意味はあるんだと思う。それで共感されるとそれが嫌いな自分でいいと思えるんだろうし、誰かの悪口で盛り上がる集いなんてのもままあるだろう。
でも、果たして「嫌い」の共有をする自分を、ホントに自分は好きなんだろうか。好きでいられるんだろうか。
好き嫌いは人間なのだからかならずある。
私にだって二度と関わりたくない、出来れば近寄らないで欲しい、思い出したくもない、みたいな対象は勿論ある。
といいつつ何かを嫌うという感情を抱くこと自体が本来なら避けるべき、みたいなうっすらとした認識もある。
誰でも受け入れ遠ざけない人を仏だとか聖人君子だとかいうように。
そこにある矛盾というか摩擦というか、
何かが嫌いな自分でもいいって誰かに認めて欲しい
みたいな思いをいだいてしまうと、「嫌い」の共有がしたくなるのかも知れない。
でもそれって根本的な解決じゃないので、結局のところ何もプラスな効果は生み出さず、「嫌い」がもつマイナスが繁殖するだけだったり。
最終的には自分が「何かを嫌いな自分」を認めない限りは、求める安寧は一生訪れないのだろう。最終的にそんな自分自身を嫌いにすらなりそう。
明らかに誰から見てもおかしなことの批判とかだったら共有することでより良く世界が変わるきっかけにもなりうると思うけれど、ただの個人的な「嫌い」で何かを攻撃してしまうと、その場ではスッキリするかも知れないけれど、あとからジクジクとなんだか心が痛む。自分の場合は。
時に抱えきれないストレスとかやり場のない怒りとか、そういうはけ口を求めるときもあるけれど、出来るだけ「好き」を共有できる自分でありたい。

1/20
骨折後初ロングにつくばへ。
お天気良くなく、曇天の6~7度なのでまぁまぁしんどいシチュエーションだが、風邪が弱い北風なのはまだ幸い。
とにかく初ロングなので走り切ることを目標にスタート。
荒川では何となく誤魔化しながら乗っていたけれど、登りや時間が長くなることで、やっぱり体がうまく使えていないことが如実に出てくる。
一ヶ月前は鼻息くらいで出せてた出力が全く出せない。
火曜日にOKが出てから詰め込みすぎて疲れてるのもあるけれど、ほんとに踏めなくて情けなくてちょっと泣きそうになった。
けど、手術後一週間で乗れてる自分を褒めよう、外を乗れていることを楽しもうと言い聞かせて、みるみるうちに減っていくHPをなんとかマネジメントして走りきった。
実際楽しむどころか耐える感覚のほうが強かったけれど、ボリュームだけは以前と変わらない走りが出来た。ここ最近感じたことのない疲労困憊具合だけど、鎖骨も大丈夫そう。
ここから少しずつ戻していくのだ。

【やったこと】
実走145km 2300mUP

【考えたこと】
ヒトデって脳の部分さえ残っていればいっくらバラバラにされようと再生するらしい。

生きていればシンドいとき辛い時、傷付く時がかならず来る。所謂挫折ってやつ。
そういう時に誰かに

今自分しんどいんです 

って言えるのって強さだと思う。
なにかに負けそうで弱い自分と向き合う強さ、それを受け止める度量がないときっと言えない。
それに自分とそう向き合える人は、人にもきっと優しく向き合える。

かつて大した挫折もしたことがなくて、自分は強いと思い込んでいた時期があった。その時は心が折れてしまうのは弱い人間だからだ、自分は強いから決して折れない、みたいによくわからない自信を持っていたし、他人に対してもそんな強さをどこか強いていたと振り返ってみると思う。
でもそんなのは強くて硬そうだけど一回壊れたら治せない昆虫の外骨格みたいなもんで、強そう見えて実際めちゃくちゃ弱かったりする。実際弱かった。ポキンって簡単に壊れた。
昆虫は大して長く生きないからそれでいいのかも知れないけれど、一回壊れたら壊れっぱなしで生きるには人の人生は長すぎる。
それに自分で作れる殻は自分で思うより弱いし、その殻を強く作ろうとすればするほど、変化も魅力もないものに成り果ててしまう。

だから、色んな魚に食べられちゃったりするし、鈍いし柔いしめちゃくちゃ一見弱そうなのに、不屈の精神で復活するヒトデのような強さを持ってる人でありたい。
叶うなら怪我した分、少しいい形に再生できるような。


1/21
昨日のダメージで屍。
うまく体が使えていないのでやたら脚やら尻やらに来る。し、鎖骨と一緒に痛めた腰がどうにも治らない。
軽くローラーすることも考えたが、無駄に疲労しそうだったのでフルレスト、ケアの日に。

【やったこと】
レッグレイズ20×3
プランク右前左一分ずつ×2

【考えたこと】
なぜ生き物は怒るんだろうか。
最初は人はなぜ怒るんだろうかと考えていたけど、人間以外のいろんな生き物も怒るよな、と上記の疑問になった。
結論としては何かから自分を守る防衛反応なのだと思う。
怒りはよく沸々と湧くとか爆発するとか熱量で表されるけれど、自分は呑み込まれたら逃れられない濁流のようなものだと思っている。
それは堰き止められたものが耐えきれなくて流れてくることもあるが、予想もできないほどあまり急に流れてくる鉄砲水のようであることが殆ど。
大体呑み込まれた怒りに身を任せるとろくな事がない。
何かから自分を守るために怒りという感情が発動しているのにより危険な場所に連れて行かれてしまったりするのだけど、怒りは防衛反応だという前提条件に沿うと、本末転倒そのものである。
とはいえ、怒りのエネルギーはそれこそ爆発的で、逃れたりやり過ごしたり、我慢するのは相当に難しい。アンガーマネジメントなんて怒りの濁流が押し迫る時にできるわけ無いやろ!と思う。
でも、その怒りのエネルギーを、逆らうこと無く上手く利用できる方法はないんだろうか。


3週目でやっと手術が終わり外乗りできるようになった。
まずは強度よりも狂ったアライメントを正すことに重点を置いて焦らずにやっていきたい。

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