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惚れた腫れたの島暮らし-ナビィの恋-

島の気分をどんなものかと言い例えるならば、この映画を見てみるといい。
どこからともなく音楽が聴こえ、なんにもかもを大して意味のないのことだと笑い飛ばす陽気でゆるやかな踊りを踊る。

「惚れた腫れた」がこの世の重要なことの9割9分を占めると、大きな声で堂々と言い切って拍手喝采を浴びるような、そういう空気。
あくまで私個人の感覚においてだが、モーニング娘。の歌なんかを聴くと、その「惚れた腫れた」至上主義の能天気さに、半ば呆れ、半ば癒されるのだけれど、島暮らしというのはなんだかそういうのに似た感じがする。
「こんなふうに生きられたらいいなあ」という本気と冗談が入り混じった願望。

ナビィは60年前に離れ離れになった恋人を心の片隅に忘れられないでいる老婆。
ある日その恋人が島に戻ってきて、彼女の心は突然にざわめき、うら若かった頃の熱い感情がよみがえってそわそわとする。

一方、ナビィの孫の奈々子は都会の生活に疲れ、祖父母のもとに身を寄せて、島の暮らしに癒されようとしている。
ナビィの夫であるおじぃが、島を訪れた若い風来坊を連れてきて、彼らのうちで世話するようになり、奈々子はその旅人に不思議に心惹かれてしまう。

そんなふうな「惚れた腫れた」が、島の空と海の下、かわいらしく能天気に繰り広げられる。

ただただ歌う。ただ笑う。
ただただ踊る。ただ眠る。

恋はどんなに苦しく切なく、愚かでみじめなものだとしても、究極的には楽しいものだし、幸せなものだ。
恋をしないよりした方が、数千倍豊かだ。

人生はどんなに苦しく切なく、愚かでみじめなものだとしても、究極的には楽しいものだし、幸せなものだ。
死ぬよりは生きた方が、数千倍豊かだ。

こういった論を「そればかりでない」と否定する人がいるとしたら、そのカチンコチンの頭を島の熱気で溶かすべきだ。

自分でも強く実感するのだけれど、恋をしていないという悩みというのはとんでもない暗黒で、もがいても浮き上がれない、たまらなくひどい絶望の色をしている。
ところが、恋の悩みには淡い色がついている。
太陽の匂いと、海の塩からさを帯びている。

「惚れた腫れた」がこの世の重要なことの9割9分を占めると、私が大きな声で叫んでも、こんな都会では誰の耳にも届くはずもなく、騒音にかき消されてたちまちに消えるだろう。
それでも、本当はみんなそう思っている。

そう思っていることを誰もやすやすと口にしないが、本当はそう思っている。

旅の途中、思った以上に、都会から島へ移り住んだ人がいることを知った。
沖縄の人口が自然増以上に増えているという話は、どうやら本当らしい。
彼らは「海が好きだから」と口々に言い、「収入は少ないけどね」と揃って笑う。
それから、こう言う。
「でもいいんだよ。お金なんて、ここじゃ遣わないから」

もしかしたら、彼らが島での暮らしを選んだ理由の一つには、堂々とこう言い切れる場所に行きたかったというのがあるかもしれない。
「惚れた腫れたがこの世の重要なことの9割9分を占めるんだ」


ナビィの恋(1999年・日)
監督:中江裕司
出演:西田尚美、村上淳、平良とみ他

■2006/1/30投稿の記事
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