新婚旅行の鉄則-ジャスト・マリッジ-

その巨大な建築物はいかにも見晴らしの良い爽やかな場所に立っていて、ギリシア人たちがなぜここを選んだか、説明など訊かなくたってすぐ分かる。
この丘に立った者は、穏やかに広がる地中海の先に、きっと等しい想いを馳せることだろう。

日が落ちた後、ライトアップされたコンコルディア神殿の姿は、もくもくと空を覆うビロードのひだのような夜を背景に孤高の神々しさばかりでなく不気味ささえ誇示していた。
ガラス窓を挟んで眺めれば、丘の上にたちはだかるホーンテッドマンションみたいだな、と感じた。

アグリジェントで私が泊まったのは、遺跡が窓から見えるということを除けば、はっきり言ってこれといった価値のないしょぼくれたホテルだ。
Hotel Baglio Conca D'oroがなんと素晴らしい宿だったかを、改めて思い返す。

せっかくのNataleの夜なので、ホテルのレストランできちんと食事をしようかとダイニングルームに出向く。
19時半に行ったら、私しかいなかった。
Nataleの夜はきっとイタリア人は家族で過ごすのだ、だから誰もいないのだ、と無理矢理納得してテーブルにつき、つたない英語の説明を聞きながら、ほとんど神経衰弱レベルのあてずっぽうで注文をする。
アスパラガスとエビが出てくるということだけは分かった。

私の一皿目が運ばれてきたとき、イタリア人のカップルが一組、そして日本人のカップルが一組入ってきた。
珍しい。この旅で目にする日本人は、通算10人以下だ。

見たところ、この若い日本人カップルは新婚旅行である。
よりにもよって、新婚旅行でこんな人気のない冬のシチリアによく来たものだ。
想像するに、夫婦のうちのどちらかがゴッドファーザーおたくに違いない。

しかも、せっかくのクリスマス、ローマかヴェネツィアにでもしておけばよかったのに、よりにもよってアグリジェントだ。

新婚夫婦は私の真後ろのテーブルに座った。
私と背中合わせに旦那の方が座っている。
「予想外だな」という彼の呟くような一言は、何に向けて発せられているのか。

同じ日本人だと思うと照れくさいので、私は中国人になりすますことにした。
といっても、中国語はしゃべられないので、気持ちだけ中国人。
我是中国人、杭州カラキタアルヨと自らに暗示をかける。
ほらほら、中国人気分になってきた。

カメリエーレの難解な英語の説明を聞きながら、旦那が「うーん」とか「あー」とか言っている。
一通り説明が終わって、選択の余地とばかりにカメリエーレがイタリア人カップルのテーブルへ移った隙に、夫婦は相談を始めた。
旦那が先ほどの説明について、どうやら妻に訳しているようだ。

ああ、可哀想に。
だめだめ、行き当たりばったりの新婚旅行で旦那のかっこいいところ見せてもらおうなんて思っちゃ。
彼のかっこいいところは、結婚を決める前に存分に見せてもらいなさいな。さもなくば、映画「ジャスト・マリッジ」のように、さんざんな新婚旅行にしょっぱなから大喧嘩するはめになる。

思うに、外国に行って、かっこよくあろうなんていうのはお門違い。
そこに住んでいるか、よっぽど何度も訪れているかしなければ、言葉もろくに通じない初めての場所、殊に相手も外国人を相手するのに慣れていない場所では、誰だって戸惑ったり、焦ったり、失敗したりするものだ。
むしろ、そういう戸惑いこそが外国に来た歓びというもの。
かっこよさなら、彼が一番よく知っている、なじみの場所で披露してくれるのを期待すべきだ。
初めての場所は、女が不安なように、男も不安だ。

まずもって新婚旅行でイタリア、しかもシチリアに来るというところがだめ。冬というのがもっとだめ。

冬のシチリアは、物好きの女一人か、長年連れ添った夫婦か、貧乏な学生が来るところ。(実際、これしか目にしていない)
新婚さんは、もっともっと、フヌケになってしまうほどホットでスウィートな場所にいかなければいけない。
私なら、そうする。

私がこのところ、新婚旅行ならここ、と密かに憧れているのは、ブータンのアマンリゾートだ。
BRUTUSか何かで偶然目にした「世界のアマンリゾート特集」の中でも、目玉中の目玉として紹介されていた。
そこに掲載されていた絶景たるや、筆舌しがたい荘厳さがあった。
まさに、宮殿。まさに、秘境の宮殿。それも、世界中でただ一つ残された秘境、といった趣き。

ブータン。正確にはどこにあるかすら知らない。
当然言葉はわからない。
わかるはずもなければ、わかる必要もない。
空港からホテルまでお迎えを呼んで、朝から晩まで豪華なコテージでだらだら過ごすのだ。
王様と王妃様になった気分でエラソーにくつろぎ、ブータンの民に外貨をもたらしてやるのだ。
文字通り、蜜月である。

そんな場所では、王様が恥をかくわけがない。
王様は財力にモノを言わせて(大金を遣うのはそれだけで内心ドキドキだけど)、民たちの尊敬さえ集めてしまう。
それでこそ彼は、寸分の隙もなくかっこよくあれるのだ。
晴れ姿はいっそお金で買ってしまおう。
きっといい想い出になる。

それが私の理想。
新婚旅行というものに行く機会に恵まれるなら、そういう類の場所でそういう類の経験をしたいと思っている。

ともあれ、Buon Natale。
アグリジェントの新婚さんに、幸あれ。

ここの神殿の神様は、まさかキリストではないだろうけど。


ジャスト・マリッジ Just Married(2003年・米)
監督:ショーン・レヴィ
出演:アシュトン・カッチャー、ブリタニー・マーフィ、クリスチャン・ケイン他

■2020/12/29投稿の記事
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