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旅の思い出

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旅の記録のつめあわせ
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#小浜島

惚れた腫れたの島暮らし-ナビィの恋-

島の気分をどんなものかと言い例えるならば、この映画を見てみるといい。 どこからともなく音楽が聴こえ、なんにもかもを大して意味のないのことだと笑い飛ばす陽気でゆるやかな踊りを踊る。 「惚れた腫れた」がこの世の重要なことの9割9分を占めると、大きな声で堂々と言い切って拍手喝采を浴びるような、そういう空気。 あくまで私個人の感覚においてだが、モーニング娘。の歌なんかを聴くと、その「惚れた腫れた」至上主義の能天気さに、半ば呆れ、半ば癒されるのだけれど、島暮らしというのはなんだかそう

ダーウィンへの質問-植物のひみつ-

どんな小学校の図書館にもあっただろう「学研まんが ひみつシリーズ」。 その中の「植物のひみつ」という本は、私が好んで繰り返し読んだ漫画のひとつだ。 いたずら好きな男の子と博士がいて、ある日、博士がどんなものでも小さくしてしまう薬を発明する。 男の子はその薬でハエが怪虫に見えるほど小さくなり、博士が作ったミニミニサイズの飛行機に乗って植物の世界を探検するのだ。 熱川ワニ園なんかで見たことがあるが人間も座れる巨大なハスの葉を滑走路にしたり、ウツボカズラのお風呂に入ってヒヤリとす

狼が横切るとき-コラテラル-

雨そのものは音もなく降るが、ブルゾンのナイロンにぶつかればパラパラとやわらかく鳴る。 今朝も北風が強く、頬と耳をひんやりと湿らせる。 葉書を出そうと最寄のポストまで歩く。 集荷は一日に一回きり。 日曜は午後の一度だけ。 銀色の弁をぐいと押し、朱色の箱に葉書を一枚そろりと入れる。 コトリと音を立て落ちる。 この箱の中には今、これきりの一枚。 郵便やさんは毎日、どんな気持ちでこの箱を開けるのだろう。 数日に一度ほどしか開ける意味がなさそうなこの箱を。 今日は開ける意味があ

ちゅら海のそば-ボーリング・フォー・コロンバイン-

音がないのは宇宙のようで、ちゃんと空気があるかどうかを繰り返し確認してみたくなる。 プレアデス星団を見たのは久方ぶりで、こぼれそうな星屑を腕いっぱいに抱きしめたくなる。 海と空が、ブルーから乳灰色へ連続的につながる。 テラスの柱と廂の直線に切り取られた、まるみのあるニュアンスが島の時間を讃えている。 何をするためでもなく、ただ少し遠くに来たのだが、同じ国とは思えない。 国境線は本質でないのだから、たぶん違う国なのだろう。 映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」の中で知

タイムスリップギャップ-12モンキーズ-

薄曇り、北風の朝。 モーターの音、島の唄。 この島に来て4日目なのだが、もしかしたら随分長い時間を過ごしてしまったのではないかという錯覚がする。 時の流れがゆるやかなのだ。 することもない。 音がない。色がない。 もしかしたら東京は、早回しのようなスピードでぎゅるぎゅると音を立てて疾走し、私がその流れに戻ったときには、最早何年かの時が経ってしまっているかもしれない。 もしそうだとしたらどうしよう。 きっと私は職を失って、友人も私を忘れかけているかもしれない。 部屋は引

証人-Shall we dance?-

リメイク映画というのは嫌いでない。 同じテーマも作り手が違えば、どんな作品に仕上がるのかということには興味がある。 背景となる時代が違うなら、それはそれで興味深い。 ちょっとしたモチーフが現代版で少しずつ違っているのを観察するのが面白い。 国が違なるリメイク、というのもまた面白い。 最近の有名なところでは「リング」なんかがそうだし、「Shall we ダンス?」をアメリカでリメイクした「Shall we dance?」もそうだ。 先週、「Shall we dance?」

旅先での相談事-最後の恋のはじめ方-

「一秒ごとに表情が変わるね」 まじまじと顔を覗き込みながら言う。 だったら、その一秒ごとの表情を見逃さないでね。 海の表情も、くるくると変わる。 昼過ぎまではあれほど穏やかだった水面が、今はざわめきたっている。 垂れ込める雨雲が何度となく断続的なスコールを呼んでいる。 移り変わる表情を見逃したくないから、飽くこともなくただ海を眺める。 変化することは楽しい。 変化するものを眺めるだけでも楽しい。 何もない島なので、何もせずに過ごしている。 むしろ、ちょっとした風や光