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証人-Shall we dance?-

リメイク映画というのは嫌いでない。
同じテーマも作り手が違えば、どんな作品に仕上がるのかということには興味がある。

背景となる時代が違うなら、それはそれで興味深い。
ちょっとしたモチーフが現代版で少しずつ違っているのを観察するのが面白い。

国が違なるリメイク、というのもまた面白い。
最近の有名なところでは「リング」なんかがそうだし、「Shall we ダンス?」をアメリカでリメイクした「Shall we dance?」もそうだ。

先週、「Shall we dance?」をDVDで観た。

キャスティングは日本版の役所公司をリチャード・ギア、草刈民代をジェニファー・ロペス、原日出子をスーザン・サランドンと、なかなかに豪華。
大筋のストーリーはほとんど日本版と同じ。
オリジナルが醸す微妙な哀愁は削がれている気がするものの、テンポはむしろよくなっていると思う。
それとも、初めて見る人にははしょりすぎで登場人物の心の機微が分かりにくいだろうか。

ものの解説でもよく見かけたが、もっとも大きな違いは「夫婦愛」が強調されていることだ。
オリジナルでは専業主婦でウジウジキャラだった主人公の妻が、リメイク版ではキャリアウーマンで堂々とした女性であること。
どっちがいいかという観点はもたないが、確かにこのことによって味つけが違う。

スーザン・サランドンがいい感じに皺を増やした顔をして、胸元が開きすぎたドレスを着て、こういった具合にきっぱりと言うのだ。
「地球上には数え切れないほどの命と人生がある。
その一つ一つは大して意味のないもので、だから人生はひどく虚しい。
でも、その人が生きた証をすべて見守って、その虚しい人生に意味を与えるのが夫婦というものだわ。
だから、私は夫のすべてを見守りたいの。
いいことも、悪いことも、すべて見守りたいのよ」

こういった台詞はオリジナルにはない。
オリジナル版ではあくまでも、夫婦は無言のうちに意識の外と底辺に横たわるもの、として描かれている。
それは日本人特有の美学かも知れないが、作品中、妻は夫を見ているが夫は妻を見ていない。
最後まで、夫は妻を見ていない。
むしろ、妻は肝心なシーンには居合わせないという選択をし、そうであって初めて夫はのびのびと笑顔を見せることができる。
「見なくてもいいの。信じているから」という妻の慎ましい愛に包まれる、その姿はひとつの理想でもあり、独善でもあろうと思う。
それを良いとも悪いとも言わないが、その曖昧な感触こそが、オリジナル版の「微妙な哀愁」なんだと私は感じている。
だから、そこをきっぱりとした態度で反転させたリメイク版に、その「微妙な哀愁」がないのは当然といえば当然だ。

ところで、リメイク版における「夫婦は互いの人生を見守る証人」という発想は、これまで私がああでもないこうでもないと考えがまとまりきらずにあぐねていた「結婚観」に一石を投じるものになった。

すばらしいこと、素敵なこと、楽しいこと、おかしいこと。
つまらないこと、くだらないこと、だめなこと、だらしないこと。
毎日のこと、一瞬のこと。
思うこと、考えること、つまづき、迷い、選択、決断。

それを見守り、見守ってくれる。
全て知りたいし、知って欲しい。

互いの人格と人生への興味が尽きないなら、それだけで幸せなふたりだと思う。
それだけで一緒に生きる価値を感じたりもする。

だから、ほんのちょっとした「決めたよ」という深夜の短い報告の電話も、それだけでとても嬉しかったのだと思う。

Shall we dance?(2004年・米)
監督:ピーター・チェルソム
出演:リチャード・ギア、ジェニファー・ロペス、スーザン・サランドン他

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