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タイムスリップギャップ-12モンキーズ-

薄曇り、北風の朝。
モーターの音、島の唄。

この島に来て4日目なのだが、もしかしたら随分長い時間を過ごしてしまったのではないかという錯覚がする。
時の流れがゆるやかなのだ。

することもない。
音がない。色がない。

もしかしたら東京は、早回しのようなスピードでぎゅるぎゅると音を立てて疾走し、私がその流れに戻ったときには、最早何年かの時が経ってしまっているかもしれない。
もしそうだとしたらどうしよう。

きっと私は職を失って、友人も私を忘れかけているかもしれない。
部屋は引き払われて、両親はショックで他界し、なけなしの財産その他は他人に渡り、私は無一文の身寄りなしになっているかもしれない。

そうなったらもう、煙をかぶっておばあさんになろう。

「もしもタイムスリップしてしまったら」という想像を、子どもの頃はよくした気がする。
おそらく高橋留美子の漫画の影響だと思うが、私が飛ばされるのはいつでも過去であり、それも戦乱の世に限っている。
私はその想像に恐怖を覚え、もしもそんな事態が起こったら、いかにして現代に戻ってくればよいのかと真剣にシミュレーションしようとしていた。

当然ながら、そんなシミュレーションは無意味だ。
タイムスリップするという現象が既にシミュレーションに過ぎず、その上にシミュレーションを重ねても、何一つ確かなものはない。

とはいえ、私はタイムスリップそのものを「絶対にありえないこと」と言い切るつもりはない。
もしかしたらあるのかもしれない。
神隠しと噂されるような不可解な失踪を遂げた行方不明者の多くは、ひょっとすると、何かの拍子に時空の渦に足を踏み入れ、そのまま未来やら過去やらに弾き飛ばされたまま帰ってこれない不遇の人々なのかもしれない。
そうでないとは言い切れない。

不遇なんて言い方をしたが、もちろん彼らは、弾き飛ばされたその時代で幸せに過ごしているかもしれないのだけれど。

もしもタイムスリップしてしまったら、そのとき人は俄かに時代を疑うだろうか。それとも自分を疑うだろうか。
出会う人のすべてが、「未来から来ただの言っているコイツは、間違いなく頭がおかしい」と決めつけてくる。
それに対して「そんなことはない!嘘なんか言っていない!」といくら主張してみても、誰が信用するだろう。
そしてそのうち反論に疲れ、「やっぱり自分がおかしいのかもしれない」と思い始めても無理はない気がする。

そんな場面を、映画「12モンキース」の中で見た。
私はこの映画が大好きで、DVDを買って何回も見直しては、その度湧いてくる一種独特のセンチメントをこっそりと楽しんでいる。

主人公は、人類が殺人ウイルスによってほとんど絶望してしまった未来から、そのウイルスの頒布を止めるため、その基点となった時代、1996年に送り込まれてくる。
けれど、彼はタイムスリップするや否や、90年代の人々に狂人と決めつけられて精神病院に送られてしまう。
当初、彼は自分が何者なのか、人類はこの先どんな悲劇を迎えようとしているのか、そういったことを説明しようとするが、誰もそれを取り合うわけもなく、やがて彼はおかしいのは自分のほうだと理解するようになる。
時折聞こえる未来からの指令も、すべて幻聴だと思い込もうとする。
けれど、彼の本来の使命は、そうやすやすと彼を自由にはしてくれない。

この作品は、運命は、未来は、過去は変えられるのかという緊張感で終始胸を掴む。
たまらなくスリリングで、たまらなく切ない。
狂おしいほど哀しく、それでいて、ほのかな光が差している。

作中、主人公は何度もタイムスリップする。
彼を過去に送り込んだ未来の研究者達によって遠隔操作されるように、彼はふとした瞬間に時空を移動させられる。
その時点で彼を目の前にしていた人からすれば、彼は突然消えてしまったと解釈される。
そして何年か後、突如同じ人物が再び現れて、かつて彼が消えたときにしていた話を、当たり前のように続けたりする。
時間を経て、その間に数年分の生活と人生を営んだ側からすれば、意味が分からない。
一方、タイムスリップした彼のほうにとってみれば、相手に会っていたのはついさっきのこと。
相手の頭に白髪が増えることの方が驚く。

それはSF映画の中のこと。
でももしかしたら、時の流れというのは、同じようでいて人によって違うのかもしれない。
私にとってはアクビが出るほど長い時間も、人によっては一瞬に思うかも知れず、数週間連絡がなければ忘れたと解釈する人も、ちょうどいいと感じる人もいるかもしれない。
あるいは、人による違いだけでなく、シチュエーションや対象にも大いに依存するかもしれない。

誰かが1秒を地球が太陽の周りを一周する365×24×60×60分の1と決めたとしても、それをどう体感するかまでは誰も決めることはできないのだから。

特有の磁場のような調子で、この島の時の流れはゆったりとしている。
東京に戻ったら、ネジを巻かなくちゃいけないだろうか。

けれど奇妙だが、ほんの数日間の旅以上の時を贅沢に味わい尽くしている感覚もする。
時がゆったりなのに、時がいっぱいなのだ。
3次元方向に大きく、4次元方向にゆったりとする。

付き合わせると、東京とこの島で時の全体量は大差はないかもしれない。
そうなんだけれども、ぎゅるぎゅる音のする疾走と、ゆるゆる音のないまどろみとは、質量において違う気がする。

そんな感じに思ったりする。

12モンキーズ 12Monkeys(1996年・米)
監督:テリー・ギリアム
出演:ブルース・ウィリス、ブラッド・ピット、エリザベス・シュー他

■2006/1/22投稿の記事
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