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降りていく生き方を読んで「ギフテッド」の降り方-メモ

お久しぶりになりました。
春過ぎから次男の体調があまり安定せず、保育園に行ったり、熱を出したり胃腸炎をやったり…を永遠に(と思えるほど)繰り返して、気づいたら夏になっていました。
長男よりも繊細さでは負けていない次男!長男も風邪っぴきでしたがさらに体が弱いです。月に2-3回は熱やら嘔吐やらの対応をしていて、この半年間の記憶があまりないわたし(と夫)。

そんな中、長男は本格的に不登校になりました。学校側は、ものすごく真摯に受け止めてくださり、いろいろと対応してくださっていましたが、難しい部分が募ってきました。

どうしたらいいかもんもんとする日々が続いていますが、「ギフテッド応援隊」という団体を発見し、入会しました。

ギフテッドとは、一般に高IQかつ知的好奇心が旺盛でなにか突出して秀でた部分がある子どもを指しますが、ギフテッド(贈り物をあたえられた)と訳しますが、実際はとても繊細で過敏、発達に凸凹があり育てにくいことが多く、通常級では適応しにくい子も少なくないのです。

おそらく長男はこの「ギフテッド」にあたるだろうと思われます。
猛烈な高IQではありませんが、このギフテッド応援隊という団体さんのなかでお話を聞いていると同じような子ばかりで、目の前が開けたようでした。

さていったんギフテッドの話は置いておいて。

領域はちがうのですが最近読んでハッとした本を紹介させてください。

降りていく生き方「べてるの家」が歩むもうひとつの道

この本は統合失調症患者さんが共に生活し働く場である「べてるの家」のレポなのですが、すべての人に共通するすてきな「人間関係の在り方」が提示されています。

べてるの家では、統合失調症の方同士がおたがいに相談し合ったり、受け入れる安心できる場所をみんなでつくっていくことで、従来の医療ではありえなかった統合失調症患者の地域参加までも成功させています。(成功、というのはべてるの家には向かない言葉かもしれませんが)

統合失調症では、幻聴や妄想に悩まされることが多いけれど、それを逆手に取って「幻聴さんコンテスト」なるものを開いてその年べてるの家のメンバーで一番おもしろかった幻聴の優勝を決める、という人気のイベントもあります。とてもユニークです。

治らなくてもいいから、こんな自分を受け入れて愛して、どうにか付き合っていこうよ。というのがべてるの家のキーワードなようです。


しかしながら統合失調症の患者さんたちの人生を垣間見ると、やはり「子育て」の重要さ、家庭が安心できないということの社会へ落とす影の大きさを考えてしまいます。

この本に出てくる統合失調症の患者さんの家庭は火宅が多い印象でしたが、そこまでいかなくても「自分をまるっと受け入れてくれない」体験を持つと、大人になってから心が爆発するのだなと。それが鬱になったり統合失調症になったり、パーソナリティ障害になったり。

家庭が「その人自身を、まるっと受け入れる」ことが重要なのだなと。
もちろん家庭が火宅なひとは、どうにかそういう安心できるコミュニティーを探せる社会であると良いなと思います。

ひるがえって、「わたしはわたしをどれだけまるっと愛せているんだろう?」「わたしのわたしへの愛は条件付きの愛ではないのかな?」などいろいろ考えました。

わたしは息子が高IQだから愛していて、サポートしているのだろうか?いや違います。
そもそも知性も特性も測れないだけで無限の可能性が人間にはあり、各人間それぞれにはそれぞれの輝きがあるはず。
論理的思考の優劣抜きにしてもわたしは息子を愛しています。

ちなみにわたしはというと、処理速度は早いが数学の論理的思考が平均より下だと思われます。数字の分析などができません。長期記憶はある程度あるけど、短期記憶は弱い。それと空間認識も弱め。でも匂いとか味覚はわりと鋭い。それと人の表情や声色で感情を察し、共感することが得意です。匂いと味覚、観察が得意なおかげで料理は自分で言うのもなんですがおいしい。絵や文章の創作も得意だけど演奏は苦手。
わたしにもあらゆる凹凸があるのです。でも、それだからといってわたしは生きるに値しないのか?というと×なはずです。

輝きも、鈍りも、表裏一体で、その石すべてまるっと美しいのです。

降りていく、というのは「もっとがんばれば、もっと成功する」というエスカレーターを駆け上るような生き方を”降りて”、「あるがままの自分を受け入れて、しあわせにいきる」ということでしょう。

母として、いま息子たちに何ができるか。

息子たちがギフテッドでも、ギフテッドでなくても親としての在り方は変わりません。

IQが高いから、とか知識が豊富、とか、あるいは運動が得意だから、とかーあるいは、ずっと欲しかったこどもだから、とか、わたしを愛してくれるから、などという条件付きの愛はやめて、存在自体を愛しているよ、認めているよ、というメッセージを出し続ける。
その上で、子どもたちがいちばん力を発揮してしあわせにいきることができるように(失敗しても、次にまたチャレンジができるこころを整える場所としての)家庭という心地よいお風呂を適温にしておく。

これしかありません。

長男も次男も、とても繊細な子ですが、そのぶん優しくて思いやりがあります。そんなすてきな輝きを、いつでも出せるように母としては家庭を温めておきたいものです。

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