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教育の歴史を振り返る&お話会 というイベントを開いた。|準備編

先日、こんな会を開いた。


長男が不登校になってからというもの、いろんな人にいろんなことを言われる機会が増えた。
「学校へは行かないかんよ」「行きたい時にだけ行くなんて、ふざけているなあ」「自由でいいね(皮肉)」という人もいれば「学校なんて行かなくていい!」「長男くんは勇者だ」という人も。
いったんその言葉を受け取るものの、でもほんとうにそうなのかなあ。
毎日ヒイヒイ泣きながら腹痛を起こしながら、行かなければならない所なのだろうか、とも思えるし
このまま友達とほとんど交流しないで大人になって、いいんだろうか…とも思えた。

一方で、毎日過ごす家での時間に限界が来ているなあと(1年前くらいから)ずっと思っていた。毎日長い時間、小学校低学年の子どもと一緒にいる、しかもわたしと夫は家で仕事をしている…というのは、しんどい。
長男は暇で暇でしかたないし、わたしたちは彼をかまってあげられることは(日中は)できない。暇だとストレスで長男は荒れる。長男が荒れていると次男も荒れるので家のなかはいつも緊張感でいっぱいだ。限界のふちをずっと歩いていたのだ。
幸いいまはいろいろなコンテンツがあって、授業自体はNHKfor Schoolとか学校支給のiPadとか、いろいろあるので学びはあまり困らない。
でもとにかく友達とは遊びたいらしいので、どこか、学校外でいいから安心してともだちと遊べる場が必要だと思っていた。

そこで、恵那で同じような問題意識を抱えているひとたちの輪に入って、居場所作りができないか模索をはじめた。
と、同時に、わたしの悪い癖というか、良い癖というか、「そもそも教育ってなんだっけ」という疑問が頭をもたげてきた。根源的なところにまず立ち返る癖がある。

それと、「子どもの居場所作りを考える会」を進めていくにあたり、
・行政と対立したくないこと、協同してやっていきたいこと
・なるべく多様な人たちからいろいろな意見を聞いて、生のニーズから活動を進めていきたいこと
などを考えて、対話の会を開くことになった。
そして対話の会を進める前に、まず教育の歴史を振り返ることによって、対話の中に出てくる「教育」という言葉の解像度を上げておこうというのが、「振り返り」のねらいだ。

教育の歴史を振り返る

教育の歴史をみんなでシェアしてから語り合いたい、という話を夫に伝えると、夫がかなり協力してくれた。
夫は一応社会学部社会学科出身なので、ある程度見地があった。
情報を集め、まとめ、適宜気付きをシェアしてくれた。
それをスライドにして、プレゼン風にしてみることにした。

振り返りプレゼンの目標は「教育は歴史や社会によってかなり変動し得ること」を理解してもらう、というところだ。その上で、今現時点で地域の中でみんなが抱えている体験をシェアしてほしかった。

好きで聴いているコテンラジオさんのPodcast「教育の歴史シリーズ」での気付きを基盤としてはいるものの、新たに書籍を足して読んだり、各国の教育の特徴や、最新の教育学の要素も足したりして、短くても伝わるように工夫した。
(でも、イベント的に時間は1時間しかなく、かなり端折ることになってしまった。教育というものを大きな目でとらえるには1時間は短すぎる、けど、これが時間的にも聴く側にとっても限界。)

こんなかんじのが52枚

お話会をするにあたり、地域とラポールについて

今回、「子どもの居場所作りを考える会」が実際に動き出す前に一度こういった会をやらせてほしい、とわたしからお願いしたのだけれど、動機としては「いろいろな人の体験や現状を知りたかった」「いろいろな立場の人の意見を聞きたかった」あとは「ただただ、しみじみと語る場を開いてみたかった」ということがある。特にこの場でなにかが動かなくていいから、みんながしみじみと語れればいいな、という。

多様な意見を吸い上げてから、また、ある程度多くの人に理解されながらスタートを切ったほうがいいだろうとも思えたからだ。

この本を読んでから、「ラポール(信頼関係のこと)」についてずっと考えている。
ラポールは、知っていたし理解していたつもりだったが、この本を読んでからまわりの世界を見てみると、ラポールが及ぼす影響の深さがよく見えるようになった。ラポール形成がうまくいっていないがために、地域でうまくいかない、陽の目をみない活動があることも。どれだけ「善き事」でも、地域の人と働きの代表の間に信頼関係がなければ、頓挫したり、広がりが見られない。逆もしかり。

ものごとをはじめるときは、地域とラポールを築いてからがよい、とまさしく身体知によって感じることができた。

教育においても同じことで、先生と生徒、先生と保護者、生徒と保護者などの関係はすべてラポール次第だと思われる。

ラポールを形成する、とか、信頼関係を築く、など建築系のような言葉がこの事象にはつきものなようだ。
まさにラポールは、AとBを贈与がいったりきたりする間にどんどん粘土のようにすこしずつ塗り重なっていくもので、お金でどうにかなるものでもなし、ミッションが素晴らしいから1日にして建つものでもない。
泥臭く貢献したり、陽がくれるまで語り合ったり、齟齬があったり、それを回復したり、といったなんやかんやが必要なのだ。

そんなわけで、お話会をまず設定したかったのは、会としてしっかり地域のひとりひとりと対話したかったからだった。
実際、やってみたら予想以上にたくさんの方が訪れてくれ、対話の時間が短くなってしまったのだが…!

教育に対する正解を求める会でもないので、お話会自体にゴールはなかった。
でもひとりひとりと対峙できたのは、祝福だった。

参加者を募集するときに気を付けたこと

オープンに誰でもどうぞ、というふうにはしていたのだが、わたしは「嗜好の似た人たちで集まって『そうだよね~』『その通りだよね』というだけの話し合い」だったらやらなくてもいいと思っていた。
子どもから、リタイアした人まで来て欲しいし、右派、左派、など立場がまったく違うひとたちが同じ輪で語り合うのが必要だと思った。

オープンにして申し込みがある流れは自然に任せてキープしつつ、バランスをみながらいろいろな人に声をかけた。
テーマが教育なだけに、興味があるひとはリベラルよりな方が多い。
そんな中、夫の協力で招待した50代男性のMさんは、たぶんこの会のメンバーからは巡り合うことのできない方だったろうと思う。
地域の現役高校生から市会議員さんもいらしてくれ、ボリュームゾーンは小学生や幼児の親世代。ほんとうにちょうどよいメンバーだった。

子どもの所属する学校の先生にも一応声をかけたが、今回はNGだった。また面談やこの会を重ねて、信頼関係を構築していきたい。

このような感じでいろいろな人でるつぼ状態をつくるために声かけをなかば恣意的にしてはいるのでまったく自然に集まったメンバーではないが、1回目はまずこれで良いだろうと思う。

またテーマを少しずつ変えながら進めていきたいし、呼ばれたら出前講座みたいにして各地域ごとに対話会をすすめても楽しそうだなと思っている。

ご近所の方、ご興味あればぜひ呼んでください。





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