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「私は日本で子供を産みたくない」ー日本の政治に望むことー

政府の外国籍、女性、性的マイノリティへの対応・反差別政策には共通点があると思います。

政府は公序良俗を理由として差別を助長しています。例えば、在日外国人・外国籍の人々への差別に関して、「言語の自由」を理由に加害者を擁護してきました。これは、反差別政策を課す人種差別撤廃条約に則っていません。また、難民条約に関しても、国連から批判を受けているのにも関わらず、帰れない事情にある人々を収容し、現在の状況をずさんな認定制度ではなく、彼女ら彼らが犯罪者であるということをに主張することで、非正規滞在の方に世論の批判を煽り続けます。

また、女子差別撤廃条を受けて、政府がしたことは男女別雇用を「総合職」「一般職」と名前を変え、大半の女性を一般職に追いやったことです(現在も企業の約半分が男性のみを総合職に雇用したと回答)。そして配偶者控除付きの非正規雇用は、女性の男性に対する貧困率を定着させ、女性に「良き母親」として育児・家事を押し付けています。さらに、岸田総理は先日、同性婚に対して「社会が変わってしまう」などと発言しました。そして、内実が伴わない「女性活躍」「ダイバーシティ」などという言葉を乱用してきました。

こういった例が示すように、政府は公序良俗や治安といった理由で、マイノリティの自由を奪い、差別側を擁護する姿勢を取ってきました。国際条約を批准して国際世論を一見回避しているように見えて実は何もしていません。

日本には人権を見守り、審査する機関が存在しないため、政府や行政、司法が権力を使えば、弱者の権利は簡単に迫害されてしまいます。また、様々な人権を横繋がりに統括する機関が存在しないということは、ひとつのルールから外れた人たちが他の権利で守られるべきだとしても忘れ去られてしまうのです(例えば、親子共々虐待で逃げてきた外国人の方が難民とは認定されなくとも、子供の権利や拷問禁止条約に則って保護されるべきである)。

もうひとつ政府の対応から見えてくるのは、政府は決してマイノリティを権力の座にあげようとはしないということです。在日外国人の人々から市民権(参政権、教育を受ける権利など)を、多くの外国籍の人々からは人権(自由に移動・仕事を選択する権利、家族と一緒に暮らす権利、迫害を受けてきた国に強制送還されない原則など)を奪っています。女性・性的少数者を含めた日本国籍の弱者に対しても、政治の場を中心としたアファーマティブアクション(マイノリティを優先して内閣に起用したり、立候補を容易にする手立てするなど)を取ろうとしません。

「異次元の少子化対策」で支援金を拡大するのは重要かもしれません。ただ、非正規の女性含めなぜ彼女たちに貧困が起きたのか、自らの政策を回顧しないまま、弱者本人たちに発言の場を与えず、支援金だけ渡すことは解決策になっていません。女性含め弱者が、お金をもらっているのだから悪く言えないというパワーバランスを維持するものだからです。また、家庭が、女性や非正規雇用や外国人労働者が多く占める育児・福祉の現場に低賃金でサービスを提供してもらうことで、もともとの貧困・格差、性別分業は解決されません。子供を持つ女性のみにインセンティブを与え、その他の女性(性的少数者の方を含む)のニーズを無視するものです。本当に平等を望むのならば、社会のリソース配分や役割の決定にもっと弱者が関われるようにするべきです。

労働力不足、少子化などの問題を抱える日本は今がチャンスかもしれません。外国人労働者や女性などが反対すれば、国家が成り立たなくなるからです。わたしは少なくとも、性的少数者や外国籍の人々の人権や、女性や障がい者等々の本当の意味での参画が実際の政策で改善されるまでは、日本で子供を産み育てようとは思っていません。それを逆手に取って抵抗し、本当の改革を要求したいのです。民主主義は「平等な市民」から出発するのではありません。この幻想の裏で、多くの人々が恣意に排除され、市民と見なされず、声を上げることが困難、または不可能な状況に置かれているからです。だからわたしたちは常に平等に向けて闘い続けなければならないのです。そこでようやく民主主義の原則に近づくことができます。権力は自ら譲歩しません。いつも社会が変わるのはわたしたちから声をあげ、権力に迫る時のみです。

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