小説『ワンダリングノート・ファンタジー』(9)寝ぼけ眼で
Chapter 9
公園でレナの手がかりを探すという、当初の目的さえ忘れさせるほどの衝撃的な状況に直面したトムは、ストローのことなどすっかり頭から消え去っていた。そして、ただ一刻も早く家に帰りたいという思いに駆られたが、先ほどの警官の変貌ぶりがどうしても気になっていた。
「あの⋯⋯お巡りさんは、大丈夫なんですか? 具合というか、何だか人が違ったみたいになって⋯⋯」
「何の話だ? まあ、ちょっと肩が凝った感はあるが」
トムは警官への不信感というよりも、その背後に現れた謎の黒い影に心を捕らわれていた。仮にオカルト的な現象で、警官が何かに取り憑かれていたという話であれば、納得がいく。少なくとも今の彼にとっては、こじつけであろうと何であろうと、何かしらの理屈が必要だった。
「わかりました。じゃあ僕はこれで⋯⋯」
警官とは目を合わせずに一礼し、トムはパニックの波が押し寄せる前に、自分の家に向かって走った。今は何も考えず、とにかく気持ちを落ち着かせることが大事だった。
「物事には優先順位がある。まずは落ち着くんだ⋯⋯そして走ることに集中する。家の玄関のドアを開けて、次にお風呂へ入って、牛乳を飲んで⋯⋯」
高熱にうなされ悪夢を見て以来、トムは軽いパニックに襲われるたび、自己流の対策「Myルール」でその窮地を乗り越えてきた。彼独自の気持ちの切り替え方は、合理的で前向きな思考を促し、レナも羨むほどのユニークな発想力の源泉となっていた。
「そうだ、玄関で仁王立ちして待っているお父さんが、牛のお面を被っていたら面白いな⋯⋯『モーこんな時間にどこへ行ってたんだ!?』とか言って⋯⋯よし、だいぶ落ち着いてきたぞ⋯⋯」
無事に帰宅したトムは、寝静まった家族に気付かれないようこっそりと二階の自室に戻り、ベッドに飛び込みそのまま眠りに落ちた。
***
「⋯⋯お兄ちゃん! これ、机の上に置いとくからね! 今日は学校休みだけど、もう10時だよ?」
頭まで布団を被って寝ていたトムには、妹の声がよく聞こえなかった。それに加え、酷い頭痛が彼の思考を霞ませていた。
「お母さんが作ってくれたスクランブルエッグ、私が食べちゃったからね? 起きてこないのが悪いんだから」
布団から顔だけ覗かせたトムは、目を閉じたまま応えた。
「わかったよ。あまり大きな声を出さないでくれ⋯⋯今朝は頭が痛いんだ」
「お兄ちゃん具合悪いの? ゴメンね⋯⋯牛乳は冷蔵庫から出してあるから。お兄ちゃん、ぬるい牛乳が好きだもんね」
「ああ、ありがとう。もう少ししたら、起きるよ」
「じゃあさっきも言ったけど、これ、机の上に置いてあるから。これ、お兄ちゃんのものなんでしょ?」
「⋯⋯え?」
「さっき、この間のお巡りさんが来て、お兄ちゃんにって届けてくれたんだよ? どうせいつもの小説の事考えてて、公園に忘れてきちゃったんでしょ?」
起きたばかりのトムには、妹の言っていることが理解できなかった。
「私、これから友達と映画観てくるから。『ユニーク彼氏と長電話』待ちに待った映画版だよお兄ちゃん! きゃー最高〜!! じゃあね!!」
いつもは妹の会話を聞き流していたトムだが、今回は気になるフレーズがいくつもあり、どうしても聞き逃せない何かがあった。
「⋯⋯お巡りさん⋯⋯公園⋯⋯お兄ちゃんのもの⋯⋯??」
うっすらと目を開け、机の上を見たトムは絶句した。
「あ⋯⋯あれは⋯⋯まさかそんな⋯⋯!?」
見覚えのある分厚い、百科事典のような「絵本」が赤いベロを出し、トムという新しいフレンドが目覚めるのをじっと待ち構えていた。
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