明日の種をまく 054_20231102
自分の親だけ歳をとらない説
今日は実家の母の誕生日。75歳になった。
朝いちばんでおめでとうの電話をした。
「今日から後期高齢者です」と言っていた母だが、正直、私にはぴんとこない。
先日、高齢者(77歳)が4歳の子を車ではねて死亡させてしまった事故があった。
高齢者に車の運転を注意してもらうことに関しては「強制的に免許返納!」まで強い希望をもっていないが(高齢者にも運転する権利が保障されるべきであり、どうしたら安全に運転してもらえるかを考える方が大事だと思っている)、それでも小さい子の命が奪われるニュースを目にするといたたまれなくなり、一瞬我を忘れて「高齢者は運転すべきでない!」などと大梶を切るような極端な気持ちがふと心に生じたりすることがある。
ここではっとさせられたのは、自分の親がもうそれに近い年齢になってしまっているということだ。
「高齢者」というのはなぜか他人ごとであり、自分の親だけは特別若いなどと変な錯覚に陥ってしまうのは、もうすでに一緒に住んでおらず生活の実態を見ていないからなのかもしれない。
それとも私の勝手なワガママな希望なのだろうか。
私にとって96歳の義祖母は高齢者であるが、70歳の義母は高齢者ではない。
義母には私たち夫婦が手をかけてあげるどころか、何でもかんでもまだ頼ってばかりいる。
いつになったら義母は私たちの面倒から解放され、高齢者として労わってもらえるのだろうか。
そして、自分の親が75歳ということ自体、受け入れられていない。
えっ?もうそんなに歳とったの?
いやいや、うぉんのすけ、あなた何歳ですか?
自分の歳考えてごらんなさいよ。
そうなんだよな~
自分もどんどん歳をとっていっているのに、親はいつまでたっても歳をとらない。妹弟も同じように歳をとっているはずなのに、まだまだ若い気でいるのだ。弟が40歳?いやいやまさかっ!まだ20代でしょ?
そんな感覚に陥るのは私だけだろうか。
親が60代の時までは受け入れられていた。
せいぜい歳をとっても60代までだな、と。
70代以上がどうしても受け入れられない。
80代になったらなおさらだ。
頭ではわかっているのだ。
親が生きているうちに孝行しよう、とか。
もう若くないのだから2人だけで住んでいる実家のことをもっと気にかけてやらなくちゃならない、とか。
段々できることが減っているな、とか。
あまちゃんだな、私。
人の親になっていないから、いつまでも子どもの気持ちでいるのかな。
どうしても親に甘えることしか考えていない。
教えてもらいたいことがまだまだたくさんある。
おかあちゃん、とにかく元気でいてくれよ。
そう願うばかりである。
電話をすれば「あっちが痛い、こっちが痛い」と訴えてくる母に「はいはい」と軽い受け答えしかせず、親身になってあげる優しさのかけらもない。どこが親孝行だ。
来週末に両親が旅行にやってくる。
準備は万端。
荷物は最小限にしたいからと向こうから持ってくるべき土産を段ボールで4箱も5箱も送ってきた。
これって・・・
荷物が届くたびに喧嘩になる。
「なんでまたこんなに・・・」
96歳の義祖母に怒られる。
「荷物をする親の気持ちになりなさい。親に感謝しなさい。親のありがたみを分かりなさい。うぉんのすけ!ダメっ!!!」
高齢者になった両親を受け入れられず、親孝行をしたいなどという。
50歳を前にした子どもなし、女性。
あー、神様、仏様、この女に親の愛をちゃんと孝行して返せる立派な気持ちをもつ女性にしてやってください。
後悔のないように・・・
タイトル画像は、仲良くさせていただいているnoterさん温水温(ぬくみず ゆたか)さんの作品です。
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