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ほのぼの生きる  122_20230520

上手な山の下り方

今日のタイトルを「50歳は人生の折り返し時点なのか?」にしようと決めていたが、内容からして、「山の下り方」を強調したく、変更。

人生100年時代と言われ始めたのは、私が43歳ぐらいの頃だったかな?
当時、60歳(そのうち65歳になるとは思っていたけれど)を定年と位置づけ、それからの40年をどう生きたらいいんだろうと途方に暮れた瞬間があった。

それからすぐに私は方向転換を試みた。このまま60歳定年までこの職場にいることは困難だ。早く別の道を見つけなければ。
そうこうしているうちにコロナがやってきて、時代も急速に変化し、自分の方向性を検討しているうちに今に至る。

人生を100年としたときに、この山の頂点はどこになるのだろうか。

50歳を人生の折り返し時点と考えるべきか、60歳(65歳)と考えるべきか。
100年なんて生きられるわけがないと考えている人は、平均寿命からして約80年と考え、40歳あたりで折り返す人もいるのだろうか。

そもそもこの山は綺麗な三角形なのだろうか。下りは傾斜が大きかったりするのかな。
はたまた人生の山は1つしかないのか。途中で乗り換えたりできないのか。
もしかしたら、今の私はこれまで登ってきた山を一旦下山して、新しい山を登ろうとしているのかもしれないなぁ。

たびたびボルダリングの話になって恐縮であるが、ボルダリングをするようになってから、分かったことがある。
「登るより下りる方が怖い」
いまだに上手く登れないが、登っている時は試行錯誤でとても楽しい。トップに辿り着いた時は達成感が半端ない。
レベルがどんどん上がっていくと、登った後に下りる過程が恐怖なのだ。
登ったようには下りれない。
登った時と同じ道を下りれないことも度々ある。下りる道、そして下り方は別なのだ。
下り方を失敗すると怪我をする。
下手すると本当に危険だ。

私はこれまで登ってきた人生の山をあっさり捨てて、しかも、いとも簡単に下りてしまって、現在平地(スタート時点)にいる。
これから登ろうとしている山は険しいかもしれない。

ふと周りを見たら、一生懸命、慎重に山を下りようとしている人たちがたくさんいるというのに、私は何をやっているんだ?今から別の山を登るって?年を考えなさいよ、そんな声も聞こえてきそうである。

私が前の山から下り立ったところは標高が少しだけ高いところにある。最初のスタート時点とは違うようだ。
登り方もある程度熟知している。30代や40代の人たちと同じ山を目指すわけではないし、同じような登り方をするつもりはない。
今から登れる山を見つけて、挑戦し、その後の山の下り方までセットで想像してみている今日この頃である。

山の下り方の重要性を教えてくれたのは、成田悠輔さんだ。
令和4年度バンタン卒業式 祝辞スピーチは有名だ。
「ニコニコ笑いながら没落しよう」はまさに山を上手く下りましょうといわんばかりだ。

今朝は起きてすぐに、強烈な動画(私が敬愛する落合さんと成田さんの対談、有働さんが見事なファシリテーター)を見て、世の中にはとんでもなく頭のいい人たちがいたもんだと感心したところである。

この先、どんな世界、社会になっていくのだろう・・・
あと50年、ちゃんとついていけるのだろうか(かなり心配だ)


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