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お金にならなくても、書くことが好きならば書き続ければいい

得意なことがあったこと 今じゃもう忘れたいのは
それを本当に叶えても金にならないから

BUMP OF CHICKEN/才悩人応援歌


関ジャム 完全燃SHOWという音楽番組で、BUMP OF CHICKEN特集が放送された。私は中学生の頃からのBUMPファンなのだが、もちろん番組を録画した(前編、後編とあったのだが後編は見る前に娘に消去されてしまった)。

ここ最近、藤井風ばかり聴いていたのだが、このBUMP特集を見てからというもののBUMP熱が再燃している。そうして昔買ったCDを引っ張り出して聴いているうちに、冒頭の曲の歌詞が心にずん、と突き刺さった。

私は詩や小説、文章を書くのが好きだと思っているのだが、誰かに自分が「詩を書いている」と伝える時、「でもそれじゃ食べていけないから」と無意識のうちに付け加えていたことに気がついた。別にお金にならなくても詩を書く行為が好きであれば続ければいいし、胸を張ってよいことなのに、「お金にならない」ということを盾に「だから私はお金をしっかりと稼げる仕事をしていますよ」「だから詩を書く時間がないんですよ」とでも言いたかったのだろうか。

本当に書く人は、どんなに時間が無くても書くものだ。
人生の中でそれをやらなければ気が済まない、落ち着かないのであれば、書くことの優先順位はおのずと上がってくるだろうし、そういう人が作家とか詩人とかになれるんじゃないかななんて思う。

でもたとえお金にならなくても、趣味でもなんでも、自分がそれを好きなのであれば続ければいいし、誰になんと言われようと、思われようと、やめなければいい。私は絶対に書かないと気が済まないというほどの衝動は持ち合わせていないが、書きたいと思ったから今こうして書いている。書き方は自由だ。それに、たとえ一度やめても、また始めればいい。

現に私は、何度も書くことに挑戦している。日記だったり、PCに自由に綴っていったりと形は様々だ。最長記録がたしか30日間だったと思う。出産を機に記録は途絶えてしまったが、その30日間続けたという記録は自分へのたしかな自信になった。忙しさを理由に書くことを辞めてからも、懲りずに何度も挑戦している。夜中の3時にこうして起きて書くくらいには、書きたいという願望はあるのだと思う。

「大事なのは、何があっても毎日続けること」

と尊敬する店の店主が言っていた。その店で飲むコーヒーが好きだった。

これをすることで何かに繋がる、という期待があると、物事は続かないのではないかと思う。期待をするから、結果が出ないと落ち込むし、落ち込むのは嫌だからそのことを辞めてしまう。でもはじめから「何にもならなくてもいい」と期待せずに始めれば、結果が出ないのが当たり前だから、長く続けることができるのではないだろうか。そこにはただ、そのことが好きだという気持ちさえあればいい。続ける理由は、それで十分だ。

書くことを生業にしようだとか、お金を稼ごうだとか
書く前からそういうことを考えてしまうから、書くことが続かない。書くことがつまらなくなってしまう。
まずは何でもいいから書くこと。毎日つづけること。
そうすることで何かが見えてくる、という期待だって捨てた方がいい。
何も見えてこなくたって、好きで続けているならそれでいい。そうして自分に、お金にならない行為をすることを許可してあげていい。

自分の中に芽生えた「書きたい」という気持ちを尊重することで、自分を大事にしてあげよう。何に繋がらなくても、続けたことは自分の中に見えない形でしっかりと積み重なっていくはずだから。




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