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『人は一人では生きていけない』

母校がある京都東寺の「日曜法話」2019年12月22日の内容です。布教活動としての法話と解釈し「動機大乗善・私心無し」で全文転載させて頂きます。「みんなでおこなう会話を通した平和な活動」に通底する大切な内容と感じていますので、「命とはつながりであるby服部英二先生」「リフレクティングプロセスのトム・アンデルセンの思想哲学」や、竹内敏晴先生の「ことばが劈かれるとき」の著述と併せて、改めて受け取り直し投稿してみたいと思います。まずは、法話の要約をお読み頂ければと思います。(以下転載)

『人は一人では生きていけない』

〜 聞いて聞かれて 〜

私たちの悩みはおおよそ他人とのストレスからくる場合がほとんどです。

「いえいえ、他人は関係ないですよ。自分のことや身内のことで苦しんでいるのですよ!」と言う人でも、結局話しを聞いてみると、「他人と比べて、なぜ自分や身内には、こんなに苦しく嫌なことばかり起こるのだろう?」とおっしゃって、やはり究極は「他人と比べることで、いっそう苦を重くしている状態が多い」ことに、私は気づいています。

さあ、このように「他人がいることで私の苦が生まれる」と言っても過言ではない状況の中で、「その苦を自分で抱え込んで、一人で自己解決をはかろうと努力する」よりも、「素直に他人の力を借りて、苦から解放されていく道がある」ことをお話ししましょう。これは信者さまのご子息から、私が直接聞いたお話しです。

彼は、東京のある病院で働く20代の内科医です。所属は肺がん病棟で、抗がん剤などの投薬をして治療にあたっていますが、「他の病棟にはない、もう一つ大変な仕事があります」と言うのです。それは、始めて訪れた患者さまに、精密検査のあとで、いきなり「高いレベルの結果報告」と「あと半年か一年の寿命(予後)ですよ」と伝えなければならない過酷な場面が多々あると言うのです。

その時がなぜ大変かと聞くと、「多くは働き盛りの40代や50代の方で、ほとんどの人が、最初は、怒りをあらわにするのです」と。つまり、突然の死の宣告のような話しを聞いて、本人が動揺し、目の前の医師や付き添いで来た家族に怒りをぶちまけるらしいのです。担当医や病院を変えてほしいと訴える人も多いとのことです。

これは医学や心理学で定説になっている理論があって、このような状況の時、人は次のような過程を経て、最後は落ち着いて受け止めていくらしいのです。

それは「否認と孤立→怒り→取引→抑うつ→受容」(1969年刊、エリザベス・キューブラー・ロス精神科医『死ぬ瞬間』より)です。

ところが、このような過程を経ず、「怒り」からそのまま「うつ状態」になって、「受容」にまでいかず、中には自殺を図ってしまう人もいると言うのです。

私はその違いがどうして起こるのか、身を乗り出して聞きました。

彼は、考えこむこともなく即座に答えました。「それは家族や友人の力です。ほとんどの人は、家族や親身になって聞いてくれる友人に、素直に気持ちを打ち明けていくと、段々と心が落ち着いていき、最期には、みんなに感謝して生涯を終えていきます。しかし、そうならない人は、たった一人で悩みを抱えて、孤立していく孤独な人です。ですから、常日頃から、家族や心の許せる友人を持ち、その人たちに素直に気持ちを吐き出して聞いてもらうことが、いかに大切であるかということです」と、きっぱりと教えてくれました。

人間は「人に聞いてもらうことで、見えない自分の心を、冷静に見られる」のだと思います。人の話を聞いてあげて、そして、自分の話も聞いてもらって、お互いに助け合って生きていくのが、正しい人間の道であるとつくづく感じました。(以上「日曜法話」東寺教学部長山田忍良2019年12月22日より転載)

南無大師遍照金剛
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後日改めて受け取り直し投稿しました。


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