見出し画像

通夜

親戚が亡くなった。


通夜・葬儀・法事のたぐいが苦手だ。なんだか怖いのだ。こんな歳になっても子供の頃の思い出をひきずっている。トラウマというやつである。

「人は死ぬ」ということを突然知ったのは5歳の時だった。今から50年以上も昔のことなのに、頭に焼き付いて離れないシーンがある。


北海道の初冬の夜。茅葺き屋根の親戚宅、何十畳もある広い座敷の真ん中で、遺体が布団に寝かされている。父の父だ。離れて暮らしていたので「おじいさんだよ」と言われても、よくわからない。生きている間に会ったことが何回あったのか。

葬儀場なんてない時代。すべてが故人の家で、家族や親戚の手で行われた。大人たちが、ぐるっとまわりを取り囲み、あーだこーだともめている。「目と口、どっちにする?」みんなで思案している。目を閉じると口が、口を閉じると目が開くのだ。

怖かった。ふすまのかげから覗いていた。慣れない状況にも戸惑った。父は兄弟姉妹が多いので、いとこも合わせるとスゴい人数。女たちは泣き、子供たちは座敷を走りまわり、男たちは思案している。結局、目を閉じて口が開くほうに決まった。まぁ、そうだろう。逆なら怖すぎる。

しきたりや礼儀なら大切にしなきゃと、真摯に向き合ってきた。でも何年たっても怖いものは怖い。若い頃は、お棺に納められて綺麗な花で飾られるまで、または火葬されて骨箱になるまで何かと理由をつけて逃げまわっていた。通夜や葬儀には行くのだが、いつまでも暗い気持ちになるので本当は行きたくなかった。


子供を産むと女は強くなる。いや、子供が強くさせてくれる。嫁いだ先の法事は、お寺で行われた。ここのお寺に掛けられている地獄絵図がこれまた怖い。毎年お盆に子供たちと、キャーキャー言いながら見るのが楽しみだった。怖いもの見たさ。

そうそう、法事の話。息子が1歳か2歳の頃だ。わたしの隣でおとなしく正座していた息子は、読経が終わったとたんに走り出し、お坊さんの傍らまで行って顔を覗き込んだ。夫の叔父さんが「コラ!坊主」と叱る。お坊さんが振り返る。なんとも気まずい。離婚して、あのお寺にはもう行くこともないから、まぁいいか。


今年、父の兄が亡くなった。茅葺き屋根だった家は、何十年も前に建てかえられた。葬儀社の若いお兄ちゃんがすべて滞りなくやってくれる。映画「おくりびと」のようで神々しい。いや、仏だった。お棺にお花を入れさせてもらった。「伯父ちゃん、今までありがとう」怖くなかった。

通夜は斎場で行われた。伯父ちゃんはお寺の総代をしていたので、お坊さんが5人も。宗派は伏せるが、読経の途中、座っていた椅子を横に寄せたと思ったら、5人が輪になりぐるぐる回りだした。初めて見た。 60近くになっても、世の中には知らないことが多い。

帰ってから娘が「メインボーカルのお坊さん、ピンマイクつけてたね」なんて言う。「おい!」と突っ込んだが、不覚にも一緒に笑ってしまった。ライブじゃないんだから!

翌日の葬儀も5人。鐘と太鼓とシンバルみたいなやつの鳴り物入り。ある意味ライブだった。娘は仕事で欠席したが、来ていたら何を言い出してたか。仕事でよかった。


伯父ちゃんは持病が悪化して入院したのだけど、新型コロナのせいで病院は面会が全面禁止だった。急に危篤状態になり会えないまま亡くなったので、親戚みんな、伯父ちゃんはまだ病院にいるような気がしていた。湯灌に始まる一連の行事は、残された人びとにいろいろな想いを与えてくれる時間だった。思い出、感謝、後悔、懺悔。ひとりひとり違う想いの時間を過ごしたはずだ。


そういえば、コーラス隊のお坊さんの一人が昨年、新型コロナにかかったそうだ。治ってから月命日のお勤めを再開しようとすると「まだ来ないでくれ」と言う人や「他の寺の坊さんをよこしてくれ」と言う人までいたそうだ。檀家なのに。「コロナに限ったことではありませんが、そのかたの立場になって考えてみてください」とおっしゃっていた。


わたしは山の苗木畑で働いている。雪の降る冬の間は「冬眠」と称して引きこもっている。冬は鬱っぽくなりやすいのだが、この冬は特に泣いてばかりいた。病気、事件、事故、戦争、世の中には理不尽や不条理が多すぎる。

4月になり、今年も仕事が始まった。時々、青空を見上げる。この空は天国に繋がっているのかな。「故人を思い出してあげることが、一番の供養です」通夜でのお坊さんの言葉が甦る。


「コォー、コォー」秋に南に向かったオオハクチョウが、今度は北に向かって翔んで行った。







オオハクチョウ


自分が死ぬのは怖くない
















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?