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死ぬときに耳元で聞かせてほしい曲

わたしには「これを聴けば絶対安らかに逝ける」と妙に自信のある曲がある。こんなものに選ばれて当のお三方だって困惑するだろうが、もう決めたので許してください。

その曲は
『愛が呼ぶほうへ』ポルノグラフィティ


小学校から音楽教室に通い、吹奏楽やバンドを経て音楽教室経営。子育てのため生徒を減らし、0になった時点で一旦休業。子供の昼寝の無音の時間に「自分は本当に音楽が好きだったんだろうか」と思い詰める。その時から3年間、一切の音楽を受け入れられなくなってしまった。病気+イヤな過去の思い出+仕事でのストレス+育児ノイローゼみたいなものだと思う。

子供が2人とも小学生になったら仕事を再開しようと思っていたが、やっぱりムリで専業主婦へ。流れてくる曲は聞けるようになったけれど、自分から聴く気には、なれなかった。

救ってくれたのが娘。思えば幼児番組を息子と3人で見ている時、いつも「一緒に歌おう」と言ってくれていた。文字どおり『おかあさんといっしょ』。娘の成長と共に、童謡がアニメの主題歌になり、Jポップになっていった。10年程前のある日、とあるきっかけで2人同時にポルノグラフィティを聴くようになる。娘はそのままファンとなり、わたしは昔の静かな曲ばかり聴いていた。

『サボテン』『音のない森』『ヴォイス』…色々あるけど、いちばん好きなのが『愛が呼ぶほうへ』。昔リアルタイムでよく聴いていた、というわけではない。ベスト版に入っていたその曲は、男女の愛というよりも人間としての愛を歌った曲。当時のわたしには、こんな曲が必要だったのだろう。乾いた心にずーんと沁み込んできた。

ずっと音楽に携わってきたが、どの曲も音ばかり追いかけて歌詞はあまり見てこなかった。なんならメロディやコードを楽譜に起こす時は、ジャマですらあった。だから、こんなに歌詞を噛みしめて聴くことは、それまでなかったのだ。

僕を知っているだろうか
いつも傍にいるのだけど
My name is love   ほら何度でも
僕たちは出逢っているでしょう?
そう 遠くから近くから君のこと見ている

『愛が呼ぶほうへ』ポルノグラフィティ
作詞/新藤晴一

気がつくと嗚咽していた。今でも聴くたびに泣いてしまう。晴一さんの作詞だと知り、それ以来、師と仰いでいる。

反抗期になった娘には、ポルノグラフィティの新しい曲ばかり聴かされた。「元気が出る曲いっぱいあるんだよ」もう強制的。家でも車でも、娘がスマホを持つようになってからはどこまでも、曲がくっついてくる。いつの間にかわたしは、すっかりもとにもどっていた。娘には本当に感謝している。

その後、持病の呼吸器科の先生のススメもあって、青空の下で働いている。小さな苗木を種から育てる。鳥が鳴き花が咲き、野うさぎ、キツネ、ヘビに大騒ぎ。近くにはヒグマも出たらしい。真夜中に1人楽譜に向かう生活とは大違い。こっちのほうが性に合っているのだろう。生きている実感がある。

子供2人が同時に就職したので、それを機に離婚した。自由になった。昨年はポルノグラフィティの20周年ライブ、娘と東京ドームまで行って来た。2日間なので、どちらかには入ると思っていた『愛が呼ぶほうへ』。アレンジを変えて2日とも歌ってくれた。もう感激。特に2日目はNAOTOさんのバイオリン、イントロ最初の2音でこの曲だとわかって、もう嗚咽。もう死んでもいい。


で、わたしがもし「手の施しようがありません」ってなった時、耳元で『愛が呼ぶほうへ』を聴かせてほしい。人生を振り返りながら笑顔で逝くから。

娘にはもう頼んである。「急な時はどうする?耳元で歌ってあげようか?」と言われた。いやいや、お前の歌じゃイヤだ。悪いけど勘弁して。

いつも持ってる、そのスマホに入ってるっしょ。わたしのでもいい。頼むから、昭仁さんのボーカルと晴一さんのギター、タマさんのベースでフルコーラスお願いします。
ほかは全部まかせるから。
ね、絶対だよ!わかった?

花が空に伸びゆくように
海を越える旅人のように
いつも導かれているのでしょう
愛が呼ぶほうへ

『愛が呼ぶほうへ』ポルノグラフィティ
作詞/新藤晴一





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