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食べるものを選ぶことは何が大切かを選ぶということ

「どう食べるかはどう生きるか」

というタイトルの本があるが、本当にその通りだ。

私は肉や魚を食べない。
その理由は、

  • 友達である動物を食べたくない

  • 食べるとすぐ具合が悪くなるから

  • 家畜の肉は汚染が酷いから

  • 環境保護のため

  • 波動が下がるから

  • 罪悪感でいっぱいになるから

  • 命を頂かなくても生きられるようになりたいから

である。

しかし、肉食をしている人にも、それなりの理由があって食べている。

実際に肉食する人に聞いてみたところ、

  • 肉食をやめて健康を害したから

  • 家族や仲間と同じ食事を楽しみたいから

  • 制限することでギスギスしたくないから

  • いただきものは全て感謝して食べたいから

  • 感謝して食べれば毒にならないから

  • デトックスする方法があるから

これを見比べて思ったのが、大切にしてるものが違うということ。

私なら、

  • 動物好き

  • 自然が好き

  • ストイック

  • 悟りの境地に至りたい

といったところだ。

後者の場合は憶測ではあるが、

  • 人が好き

  • 人との和を大切にする

  • 厳しさより大らかさ

  • 感謝の気持ちがある

ではないだろうか?

確かに、後者に当てはまる人は、とても優しく温かい人ばかりだ。

その一方で、菜食主義の人は自他ともに厳しい人も少なくない(例外もいる)

こうなると思うのだ。

食べ方は生き方だな、と。

食生活が異なる人と会話すると、価値観のズレを感じることがある。

菜食主義である自分が受け入れられてない気がすることもある。

皮肉なことに、私の周囲で肉食しない人は一人もいない。

人の中に、私の居場所がない……。


この孤独感をどうすればいいのか、まだわからない。

ただ、一つだけ気づいたことがある。

それは、他人をコントロールすることはできないということ。

自分が肉を食べないことや、肉食のデメリットについて発信することはできるが、他人の肉食をやめさせることはできない。

友達(にわとりの友達がいる)の肉をおいしい〜と食べる人を見てるといたたまれない気持ちになるが、その肉を取り上げることはできないのだ。

人との関係を大切にするからこそ肉食する彼らは、人への愛に溢れた素敵な人たちだ。

何も間違っていない。

大切なものが違うだけ。

そしていつも私に親切にしてくれてありがとう。

そうやって他者のことを認め、尊重することで、また一つ、私自身を許せるようになれた気がする。


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