見出し画像

すこしだけ目が悪い

僕はすこしだけ目が悪い

視力で言うと、0.3〜0.5くらい

でもコンタクトは怖いしメガネも嫌いだからかけない

舞台や映画を見る時だけ眼鏡をかける


だから日常生活もあまり見えない

遠くから人が歩いてきても
3m以内に入ってくれないと顔が分からないから気づけないし、
標識や看板も見えないから
方向音痴だし、目的地に割と到着できない


でも、すこしだけ目が悪いことが好きだ


例えば、
すこしだけ目が悪いから、
【夜景が綺麗に見える】


僕は乱視なので夜は絶好調に目が見えない

光っているものはクリスマスツリーのオーナメントみたいにツノが鋭利な星のように見えるから
夜の繁華街など歩くと
ため息が出るほど世界が輝いて見える

夜の街を見るだけで、
どデカいイルミネーションを見ているかのような感動が押し寄せるのだからお得だ


カメラアプリでエフェクトをかけると
世界がキラキラ見えるものがあるけど、

僕の目には毎日世界がアプリに加工されたように輝いて見える

僕の目にはみんなより少しだけ
『世界が輝いて見えるエフェクト』
がかかっているのだ




さらに、
すこしだけ目が悪いから、
【目の前のことに集中できる】


僕は本を読んだり、書き物をしたりするのが好きだ。
それはきっと、遠くのものが見えないから、目の前のことにしか集中できないんだと思う

他の人より目から入ってくる情報が少ないからこそ、自分の内側の事とか、目の前の事に没頭できるのかもしれない


また、
すこしだけ目が悪いから、
【人生において自分を受け入れる練習になっている】気がする

何年か前に飛蚊症(視界の中にゴミが浮いているように見える)が悪化したので眼科に行ったら、
「軽い緑内障かも知れない」
と言われた。

「まだ若いので急に悪くなることはないが、
じわじわ目が悪くなって
おじいさんになる頃に目が見えなくなるかもしれないけれど、
だんだんと治療していけば、進行を遅らせる事は出来る」

と診断された。

それから定期的に眼科に行って検査をするようにしているのだけれど、

診察されたその日は
夜、シクシク泣いた。

だって、「いつか目が見えなくなる」
と医者に言われたのだ

その言葉の重さは拭えない

まるで不治の病にかかったかのようなズシリとした感情が覆い被さった
このモヤモヤは一生消えないだろうと思ったし、
世界が暗黒になった日のことを想像して、また泣いた。


でも人間不思議なもので、泣く事にも飽きると
また違う感情も湧いてくる

「人間の死亡率は全員100%なら
人間の失明率だって100%じゃない?」

と、心の中で誰かが言った。

確かに。

いつか死ぬならいつか見えなくもなるのだ。

目が見えなくたって幸せに生きてる人はいくらだっているのだ。

しかも、何十年も後の話だ。

もしかしたら来年、何かの事故で見えなくなるかもしれないし、
あした生きてる保証だってない。

それなら、いまたくさん見たいものを見て、
後悔なく生きればいいのだ


それなら、「自分の個性、性質」を早く知れたのは幸運だったし、自分の目に感謝しなくてはいけない

「すこしだけ目が悪い」おかげで、
人生に生きる意味がついた気がした。


「いまはメガネやコンタクトをつけている人達が当たり前になってきているけれど、
江戸時代や戦国時代にはコンタクトなんてないし、メガネだって東洋の高級品だったから
目が悪いと琵琶法師になるか、女は吉原へ売られていく定めだったんだろうね。
わたしなんて目が悪いから
その頃生まれてたら立派な障害者だ。現代に生まれてよかったよ。
卓史は目を大切にするんだよ。」


と、おばあちゃんが昔言っていた。


当時は視力が1.2だったので

目が悪いと大変なんだなぁ

と他人事のように思っていたけど、
今ではあのおばあちゃんの言葉が沁みる。



目が悪いのも障害だよなぁ確かに


そしたら日本中、障害者だらけだ。


なーんだ。「普通の人」なんていないじゃないか。


そう思えたりする。


それなら
「すこしだけ目が悪い」ことも、悪くない。


「すこしだけ目が悪い」おかげで人生が豊かになっているのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?