私は運動神経が悪いながら長距離走では小学生の頃は学年で2番だった。小5から中3まで町内の駅伝クラブに入って毎年冬になると走っていた。 スポーツは見るほうが好きだから、自分がやっていた長距離はもっと見るのが好き。「大学駅伝の季節来たーー🔥」って熱くなっている。 今日の箱根駅伝予選会、大波乱で。特に通過ボーダーの1秒。去年の3秒でもびっくりだったのに。 私らくらいのレベルの大会でも、たとえ練習のタイム走でも、走り終わって結果を見て、「あそこでもうちょっと頑張ってたら」ってい
家に電話がかかってきたから出たら、世論調査の電話だった。え、私選挙権あるやん!と気づいて答えてみたけど、無知過ぎて… 少し前に、選挙は棄権したくないよねって友達に言うと「無知な自分の無責任な票なんか入れられないから社会に出るまで投票しない」とか言ってた。私は選挙したい派で、若者の投票率の低さ問題になってるし、投票して当たり前だと思ってた。 この二つの出来事で、ちょっと私の選挙への考えは甘かったな、って考え直しました。 でも棄権なんてもったいない。国はきっと若者の声が聞きた
私は成人する。たった昨日、大人になった。 大人になろうとしていたここ数日間、もうすぐ受験を迎えること、半年後には一人暮らしをすることを改めて自覚した。そして、懐かしい感覚に浸っていた。 私は他の子どもよりも、親の影響を受けて育った子どもだと思う。専業主婦の、厳しく過保護気味でもある母の愛のせいだろうか、意志を示せない子どもだ。私の選択にはいつも隣に親がいた。 けれどそれが全て私の人生をこんなに最高にしているのだとも思う。音楽好きも、スポーツ観戦好きも、私立高校受験も、両
ずっと話したい人だった。 久しぶりに見、初めて声をかけてくれた。 私はちゃんとありがとうを言えたのだろうか。 朝、いつも通り朝学講習に行こうとしていると、あ、と私の顔を見て彼は言った。 「今日、向こうの教室やって、図書館じゃないって」 驚いた。それはあるきっかけから数ヶ月前まで毎日DMで話していた野球部の彼であった。 その頃は互いに悩みを伝えたり愚痴を言ったり、誕生日を祝ったり、時には、ねぇ、話したいことがある。やっぱり言えない、なんにもない。というような甘酸っぱい青春のよ
かか、という何をいいたいのかわからない題名に惹かれてずっと読みたかった本を買い、勢いで一晩で読んでしまったので、感想を。 主人公「うーちゃん」は、アル中になった母「かか」のことで苦しんでいる。うーちゃんは浪人生で、かかと語る相手である弟と、母親を亡くした従姉明子と明子を可愛がるジジとババと犬のホロと暮らしている。複雑な暮らし。うーちゃんは神様のところへ、一人旅に出掛ける。 この物語は「かか語」という方言のような口調で進む。自然と語り手の心のなかに入っていくような刺さる言葉だ
田舎暮らしの私は小さい頃、都会に行ったときにお店に駐車場ないやん!ってめっちゃ衝撃受けた。 それと同じときに、都会の駐車場がない訳わかんないコンビニでも店内の商品の構造とか並び方とか全く一緒ってことにすごく驚いた。 場所が離れてても同じなんて気が合うのかなと、不思議だった。 心理学や経済学に基づいて、客を呼び売上を伸ばす店内のレイアウトが考えられているのだと、2年前くらいに気付いた。 昨日の政経の授業で行動経済学を学んで、 ああ、今私は私が小さい頃不思議に思っていたこと
昨日、高校2年の学年末考査が終わり、ちょっと浮かれてクラスメイトと小さな公園に行った。 対象年齢を過ぎているであろう遊具で遊んでみた。子どもと一緒に使っている母親がいたから安全面では多分大丈夫だろう。 しかし、久しぶりに乗るブランコではすぐに目が回ってしまうし、滑り台もふわっと飛んでいきそうで怖かった。大人になったなぁと感じた訳だ。 それから、公園というところは色彩豊かだと気が付いた。青い空を背景にカメラを向けると、簡単に『エモい』写真が撮れた。 子どもの遊びにとって色
書く、表現する、たくさんのひとに影響を与える、社会を盛り上げる。 そんなことが出来る人になりたい、とふと思った。 私は答えのない問題について考えるのが好きなほう。周りを分析的に見て、他人の感情を読み取ろうとする。自分の考えもしっかり持っている方だと思う。 でも自分に自信がない。否定されたらどうしよう、と考えてしまう。そういう性格。 仲の良い友達でもそうだし、SNSになっても同じ。Twitterで意見が食い違う人がいて怖くなってアカ消ししたこともある。 でも、私は、実は