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「つながり」とか「出会い」とかにこそ可能性があるんじゃないかって。

「最終、人脈と人徳がものをいうからね」

わたしが何気に心から尊敬していて、
なんとなく、勝手ながら、
この人とは感性が合うな、と思っている大学時代のテニス部の先輩が最近言ってたことばです。
先輩はわたしが一年生の時の四年生。主務という役職をされていた先輩です。

わたしが大学一年生のとき。
自分にとってはあまりにもレベルの高かった早稲田の庭球部に入り、毎日毎日食らいつくように過ごしていました。
練習では、自分がミスをするたびに「すみません!!!!!!!」と叫び、
下級生の仕事、掃除をはじめとした練習中の役割も犬のように従順にこなし、
春の大会では、自分はあっという間に負けてしまったので、
すぐさまサポートとして始発電車に乗ってチームの陣地準備や夜まで続く試合の応援をして、
まあ悪い言い方をしてしまえば、完全なる下っ端をやっていました。
でも、下っ端なりに、全力を尽くしていたと自負はしています。
そもそも下っ端が全力を尽くしたところで、周りの高校まで全力尽くしてきた、そもそも技術も高い選手たちの全力には到底及ばないんだから、全力を出すことがわたしにとっての最低ラインだと思っていました。
(ちなみにこれを話したら、全力が全力じゃないなんてことはないよ、みんなに影響を与えてるよ、って言ってくださった当時の主将の方のことばで大泣きしました)
そんな、マックス下っ端、純度100%の下っ端をやっていたわけですが、
実力の高い人たちと練習できる環境は、それまでのテニス人生を考えると圧倒的一番でしたし、
自分が応援した選手が勝ってくれたときは、本当に心の底から嬉しかったです。

ただ、その生活が数ヶ月続いた時、
1日部活を終えた部室で、例の先輩にぽろっと出てしまったんです。
「もうしんどいです。やめたいです。」
先輩、
「ならやめれば?お前がいなくたって別に部活はまわるし。」
って言いました。
この時の、悔しさというか、情けなさというか、言ったことへの後悔というか、怒りというか、なんかもう入り混じった、感情をずっと覚えています。
そのときを機に、わたしは絶対にこの部で存在価値のある人間になる、やめられると多少困るような人間になる、んでもって絶対やめない。って決めました。

自分でいうのはなんですが、その思いは実現できたと思っています。
最終、四年生になったときは、先輩と同じ主務を拝命し、
全国のトップ高校生プレーヤーのスカウト業であったり、部活動の会計であったり、OBOGとの折衝であったりと、コート外における部活動の運営はほとんど任せてもらっていました。
自分がスカウトし、入部してくれた後輩が活躍してくれている姿をみたときは、下っ端のわたしではありましたが、チームの勝利に貢献できた、と実感もできました。

そんな経験から、わたしは、
どんな組織においても、別にやめたところで組織はまわっていくもの。
ただ、わたしはきちんと存在価値のある人間でありたい。
というスタンスで生きています。
自分を奮起させてくれた先輩にはつくづく感謝しています。

で、ですね。
ごめんなさい、本題はここからなんです。笑
ここまではただ、先輩の紹介がしたかっただけ。笑
相変わらず話があっちこっちいくわたしで。
いつもお付き合いいただきありがとうございます。

そんなテニス人生を通してわたしは、本当にいろんな人と出会ってきました。
小中高でテニスをきたなかで出会ったライバルたち、
各地へ合宿だったり遠征だったりで出向いた先で出会った選手たち、
同じチームで活動してきた仲間たち、
そしてプレーヤーだけではなく、
OBOGの方々、お世話になったコーチたち、保護者のみなさん、大学の体育会事務局の方々。
競技として、本気でやってきたからこそ、濃度高くやってきたからこそ、
その分、出会った人たちとの関係も深いものになりました。

今週の土曜日、デザフェスから追い出された後(再入場カードもらいそこねて入場してまだ2時間半くらいだったのに、入れなくなった)、有明テニスの森へふらっと寄ってみたんですね。
東京オリンピックなつかしいなーと思って。(東京オリンピックにてラインアンパイアとして勤務させていただいておりました!)
そしたらたまたま、高校生の東京都大会団体戦をやっていて。
大会やってんだったら、誰かしら知り合いいるかな〜と思ってみたら、案の定、今早稲田実業のテニス部で顧問をされている、早稲田のOGの方がいらっしゃって。
団体戦応援して、ご挨拶だけしてきました。久しぶりだった〜。

そんな感じで、やっぱりテニスで繋がった人たちは濃い、かつ、広い。
テニスコートに行った時に、誰かしら知り合いいるかな〜って思えることが、なんだか自分にとってはうれしいんですよね。

わたしはそんな、人と人のつながり・ご縁にこそ可能性を感じる人間です。

ゆえに、これまで何か出会いがありそうな場所にはとことん足を踏み入れてきました。
早稲田のテニス部に入ったのも、さらに世界を広げられるかもしれない、という思いがあったからです。
テニス部と別にコミュニティが欲しくて、800人規模、半分は留学生で構成された国際学生寮に入りました。
オリンピックという、世界的な場を作り上げるメンバーに出会ってみたくて、アンパイア活動を始めました。

おかげさまで、本当にいろんなバックグラウンドをもったひとたちと出会うことができました。

まだ知らない世界に足突っ込んでみて、その結果新しい出会いがあって、世界が広がっていくような、そんな感覚が好きです。
んで、いろんなところにつながりのある人がいれば、なんだか生きていけそうな気持ちになれます。
これはお金だとかそんなものよりも圧倒的に価値があって、他の何にも変えられなくて。
つながりがある、ってめちゃくちゃ武器だと思うんですよね。

で、庭球部のつながりは大事にしたい、っていう話を先輩としていたときに、最初の言葉があって、
渾身の「わたしもそう思います」を返していました。

わたしは「つながり」をこれからも大事にしたいし、
もっともっと広げていきたいなって、思っています。
んで、わたしはこういう「つながり」とか「出会い」とかを生む場づくりもしてみたいっていうのが最近の思うところです。

余談になりますが。
一度テニスサークルを作りたいって思ったことがあって。
これまで出会ったいろんな界隈の友だちを、テニスというツールでつなげたら面白そうだなって思ったことがあります。
結局、テニスコートを抑えるというハードルを越えられず、見送っちゃっていたんですけど。
そんなわたしの父親、テニスサークル創ってました。
知ったのはほんと大学生くらいになってからなんですけど。
わたしも小さい頃から週末につれていってもらっていた社会人サークルで、奈良ではそこそこ名のしれた、メンバー数も結構いるサークルなんですけど。
聞くと、父親が東京出張だか行っていた時に、テニスしていたら声をかけてきた男の人と仲良くなり、住んでいる場所が近いことがわかり、奈良でまたテニスしようよ!ってことで始まったみたいです。
どちらかというとインキャな父親、どこにそんなバイタリティ秘めてたんや。
でも、なんかその、「やってみよ!」みたいなところは父親ゆずりなのかなって思いました。
つながりさえあれば、なにかやれるかもって思える、それがやっぱり魅力だな〜って、思います。

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