見出し画像

「L」と過ごした、雨降る日々のこと 第1話 ~「L」~

キミへ

 この部屋で、二人でいろんな話をするのが好きでした。
 二人で雨音を聞くのが好きでした。

 ずっと忘れません。この部屋で過ごした時のことを。
 窓から滲み込んでくる雨の匂いのことを。

 ありがとう。ここで過ごさせてくれたキミ。

 わたしは「L」。勘違いしないよね。なので言います。
 キミのことが、大好きでした。

 もう「時間を元に戻せるかな」なんて言いません。
 前を向いて進んでいきます。

 だから...リセットさせてください。
 キミのことを、ずっと、ずっと、好きでいられるように。

 それじゃあ。


 きれいに三つ折りされた彼女の手紙。
 最初に読んだとき、ボクには事態が飲み込めなかった。

 いつものように彼女にチャットを送った。
 次の日になってもリプがなく、既読もつかなかった。
 こんなことは今までなかった。

 彼女と出会って、1年ほど経っていた...


「わたしの名前の『エル』はね、LGBTの『L』だよ」
 出会った日の夜、彼女はそう言った。
「ああ、そう」
「...それだけ? 思いきってカミングアウトしたつもりなんだけど」
「ボクはてっきり、低気圧の『L』かと思った」
「天気図のマーク?」
「うん」
「どうして?」
「低血圧そうだから」
「はは...当たってるかもしれない」


 6月最初の火曜日だった。
 3年間付き合ったカノジョと別れたボクを「励ますため」と称して、友達 が合コンを企画した。
 もちろん口実。お目当ての女子とお近づきになろうという魂胆。

「人数合わせなんだよね。わたし」
 彼女が、落ち着いたメッツォ・アルトの声でボクに言った。
 5人対5人のテーブルの一番端に、彼女とボクは向かい合って座っていた。

 ショートヘア。スレンダーなスタイル。肌は透き通るように白い。
 レモンイエローのTシャツにベージュのカーディガン、デニムのパンツにスニーカーというボーイッシュな出で立ち。
 横で盛り上がる、というか盛り上げようとしている8人を尻目に、ボクたちは二人で淡々と話した。

 彼女の名前はエル。漢字は聞かなかった。

 二次会に行くという8人と別れて、ボクたちは、城址公園沿いの道を並んで歩いた。
 咲き始めた紫陽花が、街灯に美しく映えていた。
 空を覆う厚い雲。

「今夜キミの部屋に、泊めてもらってもいいかな?」
 歩きながらおもむろに彼女が言った。
「近くなんでしょ」
「う、うん、そうだけれど...」
「大丈夫。襲ったりしないから」
 彼女のほうを向くと、軽く笑みを浮かべている。
「...けど、どうして?」
 その問いには答えずに、彼女は空を見上げて言った。
「雨が降ってきそうだね」


 コンビニで買った烏龍茶とサイダーで酔いを醒ましながら、ボクのワンルームでエルと話を続けた。
「さっきの話からすると、キミはストレートだよね?」とエル。
「ストレートって?」
「自分の性に違和感がなくて、異性を愛するセクシュアリティのこと」

 ペットボトルに残ったサイダーをボクは飲み干した。
「でも、そうだとしたら、キミは今夜、ここで過ごすことが不安じゃないの?」
「さっきからキミと話してて、大丈夫だと思った」とエル。
「どうして?」
「キミは、プリーツかフレアの可愛らしいロングスカートが似合いそうな、ガーリーな女子が好きだよね?」
「そう言われればそうだけど」
「だから、わたしみたいなルックスの女子は、そもそも興味の対象じゃないでしょ?」
 たしかにそうだ。
「それに、恋愛感情抜きで男女が一緒にいたって、おかしくないよね? わたしが同性愛かどうかは別にして」

 少し開けておいた窓から、濃厚な冷気が入ってきた。
 風が強くなった。木々の梢を揺らす音。路上の落ち葉が渦巻きを描きながら舞い上がる音。

 稲光。少しおいて雷鳴が轟く。
 ざあざあと雨が降り始めた。


 エルの苗字をボクは覚えていない。
 駅の向こうに住んでいるらしいが、彼女の部屋がどこか知らない。
 連絡はスマホのチャットのみ。

 ボクは、地元の国立大学を出て2年間勤めた会社を辞め、近所のスーパーでアルバイトをしていた。
 短時間から始めて、貯金の目減りに反比例する形でシフトに入る時間を長くした。
 エルに出会った頃は、週6日、朝7時から夕方4時まで昼休みを挟んで8時間、主に商品出しの仕事をしていた。

 エルは、勤務時間が自由になる職場で働いていた。
 ボクが休みの水曜日には、前の晩から泊まって、そのまま木曜の朝までボクの部屋で過ごすこともあった。
「休んで大丈夫なの?」とボク。
「うん。メールで報告してるし。ここんとこ忙しくてずっと超過勤務状態だったから、会社にとってもこうしたほうがいいみたい」

 梅雨の間、エルは降る雨の中、紫陽花が咲く道をやってきた。
 梅雨が明けても、エルがボクの部屋で過ごしていると、夕立がやってきた。

 部屋の中まで振り込まない限り、エルもボクも窓は閉めなかった。
 湿った空気が部屋に滲み込んでくるのを、そのままにしていた。


「キミと目の感じが似てるんだ」とエル。
「誰?」
「中学の時、仲の良かった男子」

 エルは、中学1年の時に同じクラスになった男子とよくおしゃべりするようになった。
 試験期間とか部活のないときには、二人肩を並べて校門を出ることもあった。

 2年、3年はクラスが別だったけれど、朝の授業前や昼休みに、お互いの教室に行って話をした。
 好きなアニメの劇場版を、二人で映画館に観に行ったこともあった。
 周囲は当然のように「つき合っている」と思っていた。

「けどね、当人同士は恋愛感情とか全然意識してなかったんだよ」
「相手の男子もそうだったの?」
「恋愛については彼も、はっきりと『あり得ない』と言ってた」

「じゃあ、中学の頃から恋愛の対象が女性だったの?」
「『恋愛』ということ自体がわからなかったんだと思う。その頃のわたしは」
「なるほど」
「アニメやドラマや小説から『恋愛』という心理状態や人間関係があることは知ってた。でも、自分が当事者となる形では想像できなかったんだ」


 エルは東京出身。正確に言うと千葉県。
「高校まで千葉に住んでたんだよ」
「じゃあ、大学からこちらに?」
「うん。そしてそのまま居ついちゃった」

「でも、どうしてこちらの大学に入ったの?」
 彼女の出身大学は、名門の女子大だけれど全国区の学校ではない。
「母方のおじいちゃんちがこの街にあって。小学生の頃はよく遊びにきてたんだ」
「夏休みとか」
「うん。山裾に城址公園があるこの街が、その頃から大好きだった。だから、ここにキャンパスのある大学に通いたかった」
 ボクが卒業した国立大学を第一志望で受験したけれど不合格。特待生で合格した女子大に進んだ。

 エルが、レズビアンであることを自覚したのは、大学生のとき。
「2年生のときに1年下の後輩に告られてね。さすがに最初は戸惑ったよ」
「へええ」
「時間をもらって考えてみた。そうすると、とてもナチュラルにその子のことが好きになった。生まれて初めて恋愛感情が芽生えたんだと思う」

 その後輩とは3年間、周囲には「仲良しの先輩と後輩」として振舞いながら、お互いの部屋を訪ねて愛を確かめ合った。
「けどね、今から思えば、おままごとみたいだったな」
 エルが大学を卒業して生活パターンが変わると、どちらからともなく離れていったという。


 夏は過ぎ、季節は変わった。

 その年は、なかなか「天高く」とはならず、雨の多い秋だった。
 エルは相変わらず、低気圧と一緒にやってきた。

 そんなある日、ボクはエルに不用意な発言をしてしまった。

「キミの場合、『あのとき』にどんなふうなのか...聞いてもいい?」

 彼女の顔に、一瞬当惑が浮かんだ。
 それから見る見る怒りの表情に変わっていった。

「キミって、そういうことを言うヒトだったんだ!」

 憤然と言うとエルは立ち上がって、ドアを開けて外に出て行った。
「しまった」と思った。けれど、あとの祭り...

(続く)

<リンク先>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?