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聖書タイム:2020年7月「人生の航海に神の羅針盤を」

text by 山形優子フットマン

山形優子フットマンの執筆・翻訳
クリスチャン新聞福音版に「こころの食卓」連載中
いのちのことば社」翻訳本:
マイケル・チャン勝利の秘訣」マイク・ヨーキー著
コロナウィルス禍の世界で、神はどこにいるのか」ジョン・C・レノックス著

「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」旧約聖書イザヤ書43章

これが最近、私に迫る聖書の言葉です。

この言葉は、だいぶ、いかめしげな表現ですが、簡単に言いかえれば「ドンマイ、ドンマイ、起こってしまった過去のことをクヨクヨ思っていちゃダメダメ!」と神様が言ってくださっているのです。「それよりも視線をもっと先に向けなさい。私(あなたの神)があなたのために、もう新しいページを既に開いているのだから期待しなさい」と。 

この句に続く言葉は「あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」というものです。こんなちっぽけな私の心配事ために、神様が乗り込んできて道なき道を作り、既に解決への糸口を用意したと言われるのです。

心配事があると、人の心はその渦中で蝕まれて行き、恐れから身動きができなくなります。けれども自分の知らないところで問題は既に解決されているのだから「前進しなさい」というわけです。「ドンマイ、ドンマイ、希望を持て」というのは、誰でも簡単に言えることです。けれども普通の人が言う「ドンマイ」とイザヤ書の「ドンマイ」が決定的に異なるのは、「私(あなたの神)」が登場する点です。  

新訳聖書ヨハネによる福音書5章にも、似たような言葉があります。38年間病気で身動きができなかった男に、イエス・キリストが「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」と語る場面です。この言葉を普通の人が語ったら、ちょっと無責任だったかもしれません。けれども神の子キリストの言葉はシンプルで具体的であり、そして力があります。この句の続きには「すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩き出した」と書かれています。神の言葉通りにしたら歩けたわけです。このヨハネの言葉もイザヤの言葉も、言われた人が必至でその言葉を握りしめたからこそ、新しいページが開いたのです。

実は聖書には、不可能と思われる人生の荒波を乗り越えるための、様々なヒントが隠されています。人間が自力で歩く人生の中、ちょっとしたコツで恐れから解放され、生きて行くことができる方法が満載されています。その第一歩は自分中心の存在を、「神の存在あっての自分」に置き換えることです。そうすれば、豊かな聖書の言葉が日常生活の灯りとなり、羅針盤となり、あなたを導きます。それらの言葉はあなたを掟や規則や恐怖で縛るものではありません。「目を上げて先を見て歩きなさい」と、あなたを促す神は、あきらかに人間の尊厳を大事にする方です。それだけではありません。その人を前から後ろから、目には見えない盾のように、守り支えてくれるのです。

あなたも、そんな素敵な神の言葉を握りしめたいと思いませんか?