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聖書タイム2022年2月「賛美と祈りを探りつつ…」

by 山形優子フットマン

山形優子フットマンの執筆・翻訳 by 「いのちのことば社
新刊「季節を彩るこころの食卓 ― 英国伝統の家庭料理レシピ
翻訳本:
マイケル・チャン勝利の秘訣」マイク・ヨーキー著
コロナウィルス禍の世界で、神はどこにいるのか」ジョン・C・レノックス著
「とっても うれしいイースター」T・ソーンボロー原作
「おこりんぼうのヨナ」T・ソーンボロー原作

「主よ、ー中略ー わたしたちにも祈りを教えてください」
ーー ルカによる福音書11:1

冒頭の聖句は、弟子の一人が祈り方を学びたいとイエス様にお願いする場面です。イエス様はいつも皆から離れた場所で、たった一人になり、天の父なる神に祈りました。弟子たちは、祈る前と祈った後の師の変化を目の当たりにしたからか、自分たちも是非、学びたいと思ったようです。そのリクエストに応えイエス様は早速「主の祈り」と言われる祈りを教えました。

「そこでイエスは言われた。『祈る時には、こう言いなさい』」
ーー 
ルカによる福音書11:2

「天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください」
ーー マタイによる福音書6:5~13

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まずはじめに、あなたは祈る時、どこの神殿に行きますか? どこに居ても、教会の中でなくても、祈れるのは言うまでもありません。どこからでも祈れるのは何故でしょうか? キリストに従ったパウロはコリント信徒への手紙6:19で次のように語っています。「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなた方はもはや自分自身のものではないのです」と。あなたが祈る時、あなたの体は神殿になり、あなたが司祭に。つまり自分の体内にイエス様、聖霊様、父なる神様が来てくださり、あなたの中で神とあなたは集うのです。

では、「主の祈り」の言葉を順に見ましょう。皆さんは祈る時、自分から神様に呼びかけているはず。まずは神様がどこにいらっしゃるかを確認、イエス様が教えてくださるに神様は「天におられる」ようです。遠い天におられる方に、自分のところ(体内)に来ていただくよう「天におられる私たちの父よ」と呼びかけます。それは「おーい」と呼ぶも同然です。

さて次に「わたしたちの父よ」とありますが、他の人達と集まって祈るから、「わたしたち」と言うのではありません。祈る時は、イエス様と、イエス様の霊とも言える聖霊様が、あなたと共に祈られるので「わたしたちの」と言うのです。そして、イエス様の十字架の贖いと聖霊様のバックアップがあるからこそ、人は神様を「お父さん」と親しく呼ぶことができるのです。

次は「御名が崇められますように」です。ここでは私たちの祈る態度が問われます。あなたは自分本意で祈っていませんか?父なる神様は、わざわざ天から人の目線に、時には、その目線以下まで身を低くされて、降りてきて、あなたの体内にまでも入って来てくださいます。ですから、その方をまず賛美しましょう。

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続くは「御心が行われますように、天におけるように地の上にも。」ここでは、何があろうとも、神様の御心が成ることが最上だと尊敬の念を込めて宣言。私たちは無意識のうちに自分の願い事が叶うよう、神様を自分に都合よく使おうとしがちですが、権威と主導権は神様にあります。それを踏まえた上で、子供がお父さんにおねだりするよう、自分の願いごとをたくさんたくさん言いましょう。何故聞いてくださらないのですかと文句も言えますし、きいてくださる感触があったら、どんな風にきいてくださるのですかと、たたみかけるように、しつこく祈って大丈夫。

ルカによる福音書18:1に「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために…」とあるように、イエス様は、しつこく祈ることを奨励します。ただ、気落ちせずに絶えず祈るのは簡単ではありません。共に膝をかがめて、あなたと祈ってくださるイエス様、聖霊様の力を再認識してこそ、弛まず祈れるのです。父なる神様も助けてくださいます。

次の「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」は大切です。これは食料不足の時代の祈りではありません。必要な糧とは体を健康に保つ実際の食べ物と心の糧との両方です。人の体は命が宿るためにある大切な器です。父なる神様が造られた器です。体と心のバランスを促す必要な糧を求めましょう。飽食の時代、私たちは自分で自分を養っている気になっていませんか?糧を謙虚にいただく姿勢が肝心です。

「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。」あなたが祈る時、イエス様と聖霊様が、あなたと合体して共に祈ってくださるので、あなたには弁護者という後ろ盾があります。ですから、自信を持って「負い目を許してください」と言えます。あなたは赦された義人なのです。

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次の下りは誰にとっても「主の祈り」の一番手強い箇所かもしれません。「わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように」ーー 過去形で祈っていることに注目しましょう。つまり赦せなくても、無理してでも「赦した!」と宣言しなさいとイエス様は教えています。神様は心の奥で「赦せないなあ」と思っている、あなたの弱さをお見通しで哀れんでくださいます。あなたが100%相手を赦せなくても、赦そうとする自分で神様の前に出るのです。そうすれば、その問題は神様が裁かれます。「赦す」と言えない場合は、祝福という言葉をおすすめします。相手を祝福できないと思っても、神様に「〇〇さんを祝福します」と勇気を出して祈ってみませんか?〇〇さんが祝福に値しないと神様が判断されれば、その祝福はあなたの元にUターン。神様は公平な方です。あなたを大いに祝福したくてたまらない愛なるお父様です。その祝福を逃さないように!

最後は「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください」です。私たちは弱い者で、すぐにお父様を忘れ、自力本願になりがち。これこそ最大の誘惑かもしれません。人は神様の戦いを、自分のものと勘違いする場合も多々あり、これは案外、傲慢の罪なのかもしれません。人間が窮地に陥るとき、自分の力ではどうにも解決できないのは事実であり現実です。そんな時、自分の限界に失望している場合ではありません。全能の神があなたの盾であることを忘れずに神様を賛美しましょう。賛美は弛まず祈り続ける力となります。聖書は次のように語ります。

「この大軍を前にしても恐れるな。おじけるな。これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである。ーー中略ーー恐れるな、おじけるな、明日敵に向かって出ていけ。主が共にいる」
ーー 歴代誌下20章15~19節

敵の前でしたことは「賛美の歌」だけでした。後は主の勝利一色に。

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常に祈り方を探りましょう。イエス様の祈り方や、信仰の先人アブラハムたちの祈り方も参考にしながら、自分なりの言葉で。言葉にならない場合はイエス様に教えられた「主の祈り」、または自分の祈りを書きとめておいて、それを読むことをおすすめします。父なる神様、十字架の贖いの愛と恵を与えてくださったイエス様、そして弁護者である聖霊様と自分との関係を、確かなものに築いて行く方法そのものが「祈り」です。主は、祈りを通して、あなたが成長すること、あなたにもっと近づきたい、あなたを愛したいと、切に願っておられます。父と子と聖霊なる神という相手を見失わないよう、賛美を忘れずに祈りましょう。イエス様は「主の祈り」を弟子たちに指導する前、こう語りました。

「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ。」
ーー マタイによる福音書6章8節