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厄年は役に立つ年【迷信】の本質

珍しく寝付けないため・・・(いつもは12時前には熟睡している)
そのためたくさんnoteを読んだ
(投稿しようとしたらnoteのデータ整理にぶつかり朝アップになったが)

みなさんイロイロあるなーと思って
最後に「りな」さんの【私的厄年】をよんで
『あ!これだけは伝えたい』と
コメントしたがまだ眠れない
折角なので
厄年について少しだけ記事を書きたいと思う


⛩️私は宗教エリート???である。

貧乏家庭のくせに【幼稚園は大事】という
母親の思い込み(ある意味正しい)で
地元で一番お金のかかる
「白百合幼稚園」へ入れられた

毎朝「テンニマシマス・・・アーメン」
と意味も解らず唱えていた

カソリック系の幼稚園は時折チョコや甘いお菓子をたんまりくれる
今となってはいい思い出だ

ただ教育に関しては厳格で
ランボーだった私は 

「何度も何度も幼稚園の納戸へ鍵をかけられて閉じ込められた」

いまなら虐待と言われかねないしつけだが
私の角をためたのはキリスト教の先生たちである

⛩️母がたの先祖は神官

息子をキリスト教の幼稚園へ入れた母の家系は
大叔父によれば「代々神官だった」という

ご先祖さまは
津軽地方から松前の殿様にくついて北海道へ渡った古参の部下らしい
どうにも直言がひどく殿様から
「お前はあすから神官になれ」
と厳命されたそうだ(どこまで本当かは不明)

母の実家の墓は 確かに松前公のお墓の近くにあるので
厄介な部下でも 見捨てられたわけではないようだ

高校は第一志望にスベッテ 第二志望の進学クラスへいった

その学校は仏教系

毎朝
「ジンシンウケガタシイマスデニウク・・・」と読経する。

まったく節操のない私だ

神官の先祖、カソリックの幼稚園、仏教系の高校・・・あとはイスラム教しか残っていない

⛩️なぜかイスラムの地へ

大人になって なぜかイスラム地域・・・・
ドバイなどの湾岸諸国やアフリカ勤務などで 
イスラム教に接する機会が多かったのも
きっと因果だろう

これが自分自身を宗教エリートと呼ぶゆえんだ

⛩️生涯マイ宗教

ただし 人生でどこかの宗教へ入信したことはない

あえて言えば 自分教のひとり教組 ひとり信者である
教義なし 自分以外の入信は認めない MY宗教である

子供の頃は神社や仏閣には当然興味はなかったが
仕事でアメリカや中東、アフリカをめぐり

教会やモスクの静寂が好きで
「ある種のマニア」のように
様々な宗教施設を見学した

いろいろな宗教に興味があるからこそ 
既存の宗教に入信するわけにはいかない
これが小生の本音だ

⛩️他宗派尊重

基本的には 他人の宗教は尊重する
誰かが信じていることを否定するのは
お門違いだ

ただし やたらお金がかかる宗教や
勧誘に熱心な宗教はキライだ

本当に信じているなら 
自分のほうから近寄るのが本来の宗教だとおもう

勧誘しなければ誰もやってこない宗教は
いずれ・・・・

ただし 小生も人の子 (一応教祖だが)

迷いや戸惑い 落ち込みなど・・・日常茶飯事だ
そんな時は 1分だけ目を閉じて 深呼吸する

MY教唯一の儀式は深呼吸だ
呼吸を整えるだけで 自律神経のチャンネルは
いらだちから解放してくれる
人間とはまことに奥深いものだ

⛩️厄年について

さて りなさんにコメントしたとおり 
厄年は神学的には役年である

お役に立つ年だ

神社に張ってある「厄年の表」
をご覧になった方も多いことだろう
厄年とは 人生で数回訪れる特別な年で
不幸や災難が降りかかりやすいと考えらがちだ

本来は還暦などの「年祝い」と同様におめでたい年である
男性の25歳や女性の19歳などは人生の節目を迎える年齢だ

男性の42歳は社会的な地位も上がる
まさしく
「お役にたつ年齢」
という意味である

女性の33歳も同様で
「仕事や家事・育児などのエキスパートに達する年齢」
だといったらピンとくるのではないか

ただ厄年前後は中年期であり
成人病に注意すべき年齢なので
「気を付けて」
という意味も込められている

我がご先祖様も含め神学の徒は
八百万の神々にヤマトの安寧をお願いする役目である

人々の健康や幸福だけを
祈祷するのが本来の役目ではない

農作物の生育や収穫への感謝のことばが
「祝詞(のりと)」である

お祓いというと 
「嫌なことを追い払う」
儀式と思われがちだが 

本来は感謝の言葉を神々へ奏上する儀式なのだ

厄年は 
本厄を中心にその前年の前厄
翌年の後厄を含めた3年間だが
その理由は 
「人間が環境の変化に対応するにはだいたい3年はかかる」
からだ(石の上でなくても)
そのくらいの時間は必要だろう

また厄年には 
結婚や転職・家の購入など
「人生の大きな転機」や
「新しい物事への挑戦」
はなるべく避けるべきといわれる

仕事や家庭で忙殺される時期であり
中年になって体調の変化が起きる時期が
「転機とかさなる」
のは厄介だという意味も込められている

神社で正式にお祓いを受けるには時間や
祈祷料(だいたい高額紙幣~その次に高額な紙幣一枚分)がかかる

自分だけで神社にお参りし 
お札を一枚下げてもらえば十分だと小生は思う

どうしても気になる方は
「神官の古日本語(ヤマトことば)」
を聞くのもありだろう

スッキリすることは確かだ

人間の悩みは奥深いが 
自分だけの宗教を持つと

「お天道様や自分に
ウソをつくのは厄介だなあ」

という意識が芽生える

なにより自分へのお布施は
100%戻ってくる
経済的な最先端の宗教だ。

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