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【 雨音色の夏 4 】


 

「こりゃ驚いた、想像以上にいい女じゃないか。片岡かたおかさんが喜ぶはずだ」正行まさゆき圭子けいこのことをそう思っていた。

 圭子の方も、正行のことを気にするような素振そぶりがあった。

 そんなお互いを意識し合う二人だったが、それ以上の深みに入ることはなかった。

 正行と圭子が一線いっせんを越えたのは、片岡が亡くなった二日後だった。

 その日は片岡の家族葬かぞくそうが行われたが、片岡の遺体いたい荼毘だびす前だった。 

 正行の生まれた集落しゅうらくでは、葬儀そうぎの前にご遺体は荼毘に付す。それが一般的で地方によって異なると思っていなかった正行は、火葬場の都合もあったのだろうが、片岡の地元から駆けつけたご兄弟の財布の都合が最優先されたのだろうと思っていた。

 だが、そのこと以上に正行は「これほど質素しっそな葬儀があるのか」と驚いてしまった。

 田舎育ちの正行にとって、葬儀といえば家族総出かぞくそうで親戚一同しんせきいちどう、それに隣近所となりきんじょからも人が集まり盛大せいだいに行われるものだった。

 それに引き換え片岡の葬儀は、片岡の兄弟とその家族が数人、会社からは幹部が二人と正行に武田。奥さんの側に参列者さんれつしゃはなかったので、総勢そうぜいはわずか十人を超えた程度だった。

「片岡さん、あんたはやっぱり『地元で暮らせなくなった』ということだったんだね」

 そうつぶやきながら、正行は片岡に最後の別れをげた。

 そんな葬儀は午前中に終わり正行はその日夜勤をしていたが、ひどく仕事のノリが悪かった。

 とにかく、やることなすこと裏目うらめに出た。路地ろじからひょいと出てきた空車に客を持っていかれるし、長い客待ちの列でやっと乗ってきた客はワンメーターだし、子どもが靴で白いシートカバーを汚すし、自分でも信じられないような場所で道を間違えるしと、散々さんざんだった。に、メーターの入れ忘れまでやらかした。

「やれやれ、ツキのない時はとことんダメだな」そんなことを思いながら、コンビニに寄りコーヒーを買った。

「こんな時、みんなはやけ酒を飲むんだろうな~」コーヒーを飲みながら正行がそんなことを考えていると、無線配車が入った。

 ナビの画面には総合病院の名前と『只野様ただのさま』という聞き覚えのない個人名、さらに「指名ですよ」という意味深なメッセージが書いてあった。

「この『只野様』って誰だ? オレは知らねぇぞ」と、正行は無線のマイクに向かって言った。

 すぐ無線室から電話が入った。カップコーヒーを飲みながら正行がスマホのスピーカーボタンをタップすると、仲のいい加藤かとうの声が聞こえてきた。

吉田よしださん、お疲れさまです」

「お疲れ、加藤ちゃん。ところでこの『只野様』って誰だ? オレは知らねぇぞ」

「やだな~ 吉田さん、しらばっくれて。ほらナースの只野さんですよ、八幡はちまんホームの」

「あ、あの看護婦の只野さんか」正行は圭子の顔を思い出しながら言った。

「今日は名指なざしです。すみにおけないな、吉田さんも」

「了解、行ってくるよ。それから『下衆げす勘繰かんぐり』は止めろよ」

「は~い、よろしくです」

 正行が総合病院に着くと、圭子は玄関で電話をしていた。

 正行のタクシーに気づくと、申し訳なさそうに小さく頭を下げながら、スマホを片手に乗り込んできた。

 正行は圭子の電話が終わるのをそのまま待つことにした。

「ごめんなさい、ホームに連絡していたから」

「私の方は大丈夫です。ホームまでお帰りですか」

「はい、お願いします」

「わかりました」そう言って走り出した正行だったが、さすがに今日は圭子と雑談する気にはなれず、押し黙って車を走らせていた。

 街の光の河を泳ぐように、正行のタクシーは走る。

 圭子は黙って流れる灯りを見ていたが、「そういえば片岡さん、どうされてますか? ずいぶんお会いしていないので、少し心配です」と、思い出したように話し出した。

 正行はドキッとした。こんな時の女のかんはとてもするどい、どう返答したものかと考えていると、「まさか」と圭子が言った。 

 正行は覚悟を決めて話し始めた。

「今日が葬儀でした。亡くなったのは二日前です」

「そうだったのですか…… 病院で?」

「いや、退院して自宅に帰ったその直後ちょくごでした」

「もう手のほどこようがなかった、ということだったのでしょうか?」

「その辺の事情は、私にはちょっと……」

「ですよね……」

 みだす様子もなく話す圭子を、「さすがだな」と正行は思った。

 圭子はその仕事柄、人間の【死】が身近みじかにあるのだろう。「れ」という言葉は使いたくないが、やはり馴れているのだろうと思ったからだ。

「吉田さん、これからお時間ありますか? 私はこれで終わりですので、後はフリーなんですが」 

「これから?」

 そう聞き直した正行には、圭子の言葉の意味がよくわからなかった。

「片岡さんが亡くなったときのこと、もう少しお聞きしたくて…… 一緒だったんでしょ?」

「そういうことですか。いいですよ、今日はノリが悪いしひまですから、もう止めにします」

「え、いいんですか? そんなに簡単に止めて」

「大丈夫ですよ。それにこんな日に無理をすると、ろくなことがないんでね」

「うふふ。そうなんですか。じゃ、私はどうしましょう?」

「ホームに着いたら、お帰りの準備をしてきてください。私は車でお待ちします」

「わかりました」

 ホームに圭子を降ろしてから、正行は会社に連絡を入れた。

「吉田さんお疲れ様、どうしたの?」

 今夜は若い管理者の長澤ながさわが夜勤だったので、正行は気楽きがるに話ができた。

「悪い長澤、やっぱり今日はダメだ。ここで終わりにするよ」

「そうでしょう、だから出るとき言ったのに『無理はいけないよ』って。いいですよ、早退そうたいにしておきますから上がってください」

「世話になるな、よろしく頼むよ」

「了解です」

 電話を切ってから、正行はタバコを持って車の外に出た。

 ここのホームは高台にあるので、夜景がキレイに見える。

 遠くに見える中心部のビル群を眺めていると、「こら、ここは禁煙だぞ!」と後から声がした。

 

    ー つづく ー


Facebook公開日 8/22 2020



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