【 雨音色の夏 5 】
老人介護施設の駐車場で、圭子を待ちながら正行がタバコを吸っていると、
「こら、ここは禁煙だぞ!」と、後ろから声がした。
驚いて正行が振り向くと、制服に黒色のジャンバーを羽織った圭子が立っていた。
「待ちくたびれたものでね、失礼しました。会社には内密にお願いします」
「お待たせしてすいませんでした」
「では、行きましょう」
「はい」
正行は【空車】表示を【回送】に変えて、タクシーを走らせながら圭子に言った。
「車を会社に戻さないとダメなんだ」
「私が一緒でもいいの?」
「さすがにそれは、ちょっとマズイだろう」
「じゃ、どうすればいいの?」
「近くにファミレスがある、そこで待っていてくれ。できるだけ早く戻る」
「わかったわ」
正行は圭子をファミレスで降ろして会社に帰ると、日報だけ提出してすぐファミレスに戻った。
客のまばらな店内の、窓際のボックス席に圭子は座っていた。少し怯えた様子でミルクティーを飲んでいる。
「お待たせしてごめん、何かあった?」
正行が圭子の向かい側に座りながら聞くと、
「ねぇ、出ましょう」と圭子はチラリと空席を挟んだ隣のボックスを見ながら言った。
質の悪そうな連中が圭子と正行を見ていた。
「わかった、出よう」そう言って、正行は伝票を持った。
圭子を自分の車に乗せ、正行は街の中心部を目指して車を走らせる。
「さてと、これからどうする?」
「私はどこでもいいの、吉田さんとお話ができれば。この車の中でもいいわよ」
「こんな時間は、車を停めていると危ないんだ」
そう正行に言われ圭子がスマホを見ると、すでに二三時を過ぎていた。
「危ないって、さっきみたいな連中がってこと?」
「それもあるが、不審車両と間違えられて通報されることもある。警察の職務質問を受けたくないだろう」
「それは絶対にイヤ」
「ファミレスでは、さっきみたいな連中がたむろしてうるさいしな……」呟くように正行は言った。
「私は吉田さんと二人だけで、ゆっくり話ができるところがいいわ」
「なら、ラブホでいいな」
正行が言うと、「え!」と、少し戸惑った言葉が圭子の口から出た。
どう返事をするべきなのか、とっさに言葉が思いつかなかったのだ。
正行は圭子の返事を待たずに、車を国道四八号線に向けた。
国宝の大崎八幡宮を右手に見ながら通過すると、一気に民家が疎らになる。正行の車は広瀬川に沿ってカーブを繰り返す、くねくねとした道に入った。
「そういえば、この先にラブホがあったわ」
黙って車を走らせる正行の横顔を盗み見しながら、独り言のような小さな声で、圭子は思い出したように言った。
「だな、とりあえずそこに行ってみよう」
「え、聞こえちゃった?」
「あぁ、耳がいい訳じゃないが、今のは聞こえた」
「地獄耳ね」
「そうか」
右に左にと連続したコーナーをいくつか抜けると、ラブホテルのネオンが目の前に飛び込んできた。
「ここに入ろう」
返事をしない圭子を無視して、正行はホテルの駐車場に車を停めた。
車を降り、ホテルに向かって歩きだす正行の後を、圭子は黙ってついていく。
期待とも不安とも違う「なにがどうなって、こんなことになったのか?」と圭子は、気持ちの整理がつかない自分の心に問いかけてみたが、返事はなかった。
ただ、これから起きるであろうことを、圭子は容易に想像できた。大人の男と女なのだから……
部屋に入るなり、正行は何も言わずに圭子をベッドに押し倒し、唇を奪った。
圭子は正行の下で顔を振り、胸を押したり叩いたりと小さな抵抗はしたものの、そんなことで男が止まらないことはわかりきっていた。
「ねぇ待って、シャワーを使わせて」
「ダメだ」
正行は乱暴に圭子から服をはぎ取った。
「待って、お願い、乱暴にしないで……」
半べそをかきながらそう言う圭子を無視して、正行は自分の服を脱ぎ捨てた。
強引に、大胆に、正行は男の力を見せつけるように圭子を抱いた。
「タバコ臭いわ…… どうしてこういう場所って、タバコの臭いがそのままなのかしら……」
こんなことを考えながら、圭子は正行にされるがまま、女の歓びに飲み込まれていった。
強引で乱暴な正行の抱きかたを、圭子は意外に思った。
「もっと紳士的で優しいと思っていたのに……」
正行の腕の中で圭子は呟いた。
「そう思うのは、お前の勝手だ」
「そうね、でもステキだった」
「誰と比べてるんだ?」
「昔の男…… って言ったら、怒る?」
「怒りはしない、たとえ今の男の代わりでもな」
「そんなんじゃないの、ただ…… あなたに抱かれたかったの」
「そうか」
「そうだ、私はこの男に抱かれたかったんだ……」仰向けに寝そべっている正行の腕を枕にして、圭子はこんなことを考えていた。
先に圭子にシャワーを使わせて、正行は冷蔵庫の中を物色した。
目当てのものはなく「チェ!」と舌打ちしてから、納得できないような顔でペットボトルの水を手にした。
闇の世界を確かめるように、正行はカーテンを開ける。
アルミサッシのガラスには全裸の自分が等身大で映し出されていて、透けて見えるその先には、遅く昇った細い月が淡い光を放っていた。
「下弦の月の後は、なんという名前なんだろう?」そんなことを考えながら正行は月を見ていた。
全裸にバスタオルを巻いただけの圭子の姿が小さくガラスに映り、それはすぐに等身大となって正行の隣に並んだ。
「何をしていたの?」
「月を見ていた」
「覗かれるわ」
「熊にか?」
そう正行に言われ、圭子は窓の外を見た。
僅かに漏れるホテルの灯りが照らす先は、広瀬川の川面だけだった。
「こんなに川のそばだったんだ」
「あぁ、そのようだな」
二人は寄り添い、黒く揺れる川面を見つめていた。
「ねぇ聞かせて、片岡さんのこと」
「何が聞きたい?」
「全部」
「全部か……」呟きながら、「どこから話そうか?」と正行は考えていた。
僅か二日前のことだ、記憶を辿らなくても、はっきりとあの時の光景は浮かんでくる。
「片岡さんから連絡があったのは、先週の土曜日の昼過ぎだったんだ」
時系列で、正行は圭子に話し始めた。
ー つづく ー
Facebook公開日 8/23 2020
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