【 雨音色(あまねいろ)の夏 1 】
【テロメア】をご存知だろうか?
テロメアとは、細胞の染色体の末端にある特殊な構造物で、その長さを見ると『人の寿命』が分かるらしい。《命のロウソク》とか《命の回数券》ともいわれている。
さて、この「人の寿命」だが、誰がどこで決めているのだろうか?
落語の演目「死神」では、死神がロウソクの長さで決めていた。
火のついたロウソクが溶け、だんだん小さくなって消える。それまでが、その人の一生ということだ。
伊坂幸太郎は小説「死神の精度」で、「寿命っていうか、運命っていうか、そういうのってあるんですか?」という女性の問いに、
「寿命はあるさ、ただ、誰もが寿命で死ぬとは限らない……」と、興味深い言葉を死神に語らせている。
また、小説《天国の本屋》では「寿命を全うできなかった人間が、寿命の残りを過ごしている場所」のことが書かれている。作者は、松久淳+田中渉。
そもそも、人間にとって【寿命】とは何なのか? 死んだ経験のない私にはわからない。
だが、ひとつだけはっきりしていることがある。それは「誰もが、やがて死んでいく」ということだ。
寿命の意味がわかっても、わからなくてもそれは変わらない。命の法則のようなものなのだ。
日本人は死について考える人の比率が、世界でも突出して多いと言われている。
それでも「やがて自分も死ぬ」という当たり前のことを、自分のこととして理解している人間は、案外少ないように思える。
われわれは「自分が死ぬ」ということを、いつもどこかに置き忘れて生きていないだろうか?
「明日の朝、自分がこの世界で目を覚ますことができる」こういう保障を持っている人間など、この世に存在しない。
いや、数時間後、数分後の【生】の保障すら持っていないのが、本来の【生きる】ということではないのか。
未来は誰にもわからない。「今、生きているから」ということが、「これから先も生きていける」という理由にはならない。
人は「明日も生きていけるだろう」という期待値を追いかけているだけなのだ。
人は生まれるとすぐ母親に抱かれる。まだ自分で何もできない赤ん坊は、母の優しい眼差しに見守られて眠るのだ。
ならば、終焉の時はどうなのだろう?
生と死はセットだ。どちらかが単独で存在することなどあり得ない。だからこそ人は、誰かに抱かれてその時を迎えるべきではないだろうか。
できるなら最愛の人に…… 少なくとも私は今、こう考えている。
【 雨音色の夏 1 】
共同墓地の長い階段を上り駐車場にもどると、正行(吉田正行)はまず車の窓を全開にしてからタバコを1本取り出した。
「あの日も暑い一日だったな……」ふとそんなことを思い出しながら、タバコに火をつけた。
杜の都『仙台』の夏は、この時期が一番暑くなることが多い。七月がもうすぐ終わろうとしている二十六日、正行はこの月二度目の休日を取った。
明日が会社の同僚の命日なので、柄にもなく墓参りにきていたのだ。場所が場所だけに、白のポロシャツにチノパンという、ラフだが落ち着いた格好にしていた。
仙台市は伊達家の城下町で、中心部の西側に政宗の居城として有名な『仙台城址』がある。
ここを仙台市民が親しみをこめて『青葉城址』と呼んでいるのは、青葉山丘陵地帯にあるからだ。
その青葉山を西道路のトンネルで抜けると、まもなく東北自動車道の仙台宮城インターチェンジに繋がる。
市民霊園はそこに隣接した高台にあり、蔵王連峰を含む奥羽山脈が一望できた。
「さてと、そろそろ圭子を迎えに行くか」トランクに灰皿を片付け、正行は車のドアを開ける。
西日とはいえ、真夏の直射日光をまともに浴び続けたハンドルは、触れた瞬間に手のひらが火傷しそうなほど熱くなっていた。
「アチッ! こりゃ参ったな。ここにフライパンを置いたら、目玉焼きができるぜ」
ブツブツと独り言をいいながら、全開の窓はそのままで正行は車を走らせた。
圭子(只野圭子)は老人介護施設の看護師で、中学生の娘と二人で市内のアパートに暮らしている。
シングルマザーで、正行とは体の関係だけで繋がっている「セフレ(セックス・フレンド)」だった。
ひと月に一度か二度しか休みを取らない正行に合わせるように、圭子は自分の休みを調整して、正行と逢うための時間を作っていた。
だがどうしても調整できないこともあり、今日はそんな日だった。
「無理することはない。明日が地球最後の日というわけじゃないんだ、また次の休みに逢おう」昨夜のそんな正行のLINEに圭子は納得せず、
「やっぱり逢いたい、明日夕方から時間作るから」と、LINEを送ってきたのだった。
「ごめんなさい、具合の悪いお爺さんがいて、一時間位遅れそうなの」というLINEが圭子からきたのは、正行が待ち合わせのコンビニに着いた時だった。
「気にするな。コーヒーでも飲みながらのんびり待ってるよ」と返信してから、正行は車を降りた。
「片岡さんがタバコを欲しがったのは、いつだったろう……」
圭子と待ち合わせたコンビニの駐車場でアイスコーヒーを飲みながら、正行は思い出の中を探ってみた。
会社の同僚で、正行より十歳以上年上の片岡は、去年肺がんで亡くなった。今日正行が墓参りに来たのはその片岡の墓だった。
そんなことを考えていると、暑いからだろうゆったり感のある薄い青色のブラウスに、白のパンツスタイルという爽やかなコーデで圭子はやってきた。
明るいブラウンに染めたセミロングの髪をポニーテールのようにしたアップヘアが、涼しげでとても似合っている。
「ごめんなさい、待ちくたびれたでしょ」
「気にするな、オレはお前に逢えればそれでいい」
思ったよりも早くやってきた圭子を乗せ、赤く染まり始めた夕陽を背に正行は車を発進させた。
待ち合わせたコンビニが圭子の職場の近くなので、長居はしたくなかったのだ。
エアコンの風に揺れるふわふわとした後れ毛が、圭子の横顔を色っぽくしていた。
ー つづく ー
Facebook公開日 8/19 2020
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